豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2017年10月11日 17時51分05秒 | 日記
 ( Vol 2097 ) 神戸製鋼のデータ改ざんには 日本の体質が影響している  YESだけを求められる全体主義から 自分で考え 自分の意見を言える YES NOの言える 社会が必要なのではないか


データ改ざんは 組織ぐるみ という

なぜ このようなことが起きたのか

職場内における 批判をできない NOと言えない 雰囲気が慣例化していた


この結果 データ改ざん ということが起きた


これは 今までも 大企業において 問題になったことである


日本社会 全体が 批判できない 社会になっている ということを物語ってはいないだろうか


政治に対しても 日本社会は 批判ができない 状況にある

権力の乱用 がはびこっている といえるのではないか


企業組織内における NOといえない 環境

これは 企業だけではない 官庁においても NOといえない 環境である



国会で 森友学園問題であった 文部科学省における 官僚の 官邸に対するNOが 言えない状況であった ことからも 推察することができる


このような 社会体質では 国際競争において 対等に競争はできない


企業内における 新たな発想も つぶされる 状態を生む

最近では 3Dプリンターの発案者は 日本人であるが それを活用できるようにしたのは 外国人である

また 過去では 八木アンテナ は その当時の日本社会では 受け入れられなかったが 外国で受け入れられ 今日に至っている

なぜ すばらしい発想が 否定されてしまうのか

そこには トップの判断一つで 決定されてしまう ということである

全体主義からくる 保守的な発想が  はびこっている

日本社会は つけられたレールに乗ることは 得意であるが 

レールをつくる ということは 不得手である

そこには トップ 上に対して気にする YES ばかりの姿勢があるからである


根本的な 体質改革が 必要ではないか



その対策の一つとして 教育現場の改革ではないか


日本の 教育現場は 生徒は 受け身の授業である


これでは NOという 行動は起きない

能動的に 授業を受ける 体質が 必要ではないか


能動的授業とは 自分の意見をもって 授業に参加する ということである



自分の考えを 人前で言う という 環境こそ NOといえる 社会をつくる ことになるのではないか


現在 社会人になって 日本の企業に 勤務している人たちは 上司の目を気にして YES の意思表示を するよう強要されている のが現状で 保守的になっている

転職を良しとしない社会体質 転職を容易にできない社会 がその状況を後押ししている


これでは 企業の改革はできない

国際社会の競争において 対等に競争することはできない


対等に競争するには 人間力 が重要なのである


自分で考え 自分の意見を持つ という 人間力である



日本社会は いつから 保守的になったのか

それは 経済的に 安定してきた 状況から 企業は保守的になった


戦後 日本社会は 復興と先進国の生活に追いつく という目標によって

企業経営者が 積極的な姿勢の元に 従業員の意見を吸い上げる という体質があった


それは 自分の意見を 自発的に言う のではなく 上から言われて それに沿うような意見を言う ということである


これは 一見 能動的に みえるが  そうではない

受動的な 行動なのである


上司の目線ばかり 気にした 社会


戦前から 日本社会は 上司の目線を気にする という 受動的な行動を 教育してきた


俗に言う 全体主義 である


文句を 言おうものなら 左遷 批難 を浴び 村八分 状態を招く

これが 日本の企業の実態 ではないか


最近では 広告業界での 過労死問題も 根っこに この受動的行動が 影響している


生産性を上げる ということが 問題ではなく


生産性を上げる ためには 上からの命令に 絶対服従 ということが問題なのである


そういう意味から 日本社会の企業を 捉えると すべての企業は ブラック企業 といえる状態にある ということである


上から 意見を強制的に求められるのではなく


職員自ら考え 会議の場で 能動的に 自分の意見を言える 環境をつくることが これからの日本社会を 良い方向へと もっていくことになるのではないか


言えば 出る釘は打たれる


では 企業の改ざん 粉飾 は なくならない

健全な 企業にするには 能動的な 意見がいえる環境である


YES ばかりをも求めるのではなく NOも認める ことである


YES NO が共存できる 社会 組織こそ 人材を育て 活かす ことになるのではないか

その結果 企業の業績を 上げる 競争力をつける という 状況を生むのではないか



日本社会は あまりにも 保守社会 になっている といえないだろうか



NO と言える 社会をつくる 意識を育てる 必要が 急がれているといえる


「 忖度 」という言葉が まかり通る 社会を問題視 する姿勢が 必要である



 





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豊前善三つれづれ日記

2017年10月11日 13時47分42秒 | 日記
 ( Vol 2096 ) 安倍総理の 北朝鮮の脅威 を訴えた演説は 他人事のようであり 無責任きわまりない

問題の発端は 安倍総理の言動にあったのではないか


北朝鮮の脅威ということを 過度に強調していないだろうか

北朝鮮の脅威は 安倍政権になってから 増したことを 忘れてはならない

このことは 国民は 周知のことなはずである


この北朝鮮の脅威を 憲法改正の 道具として使おうと 国民に防衛の重要性を 暗に含めた演説にしようとした 意図を感じる


このことから 安倍総理は ことの発端となった という自覚はないように映る

それで良いのだろうか

安倍総理は 東日本大震災における 民主党政権の対応について 批判を述べているが

それ以上に 北朝鮮の脅威は 国民を苦しめている



自分のことは さておいて という 姿勢はどうなのか


東日本の復興と 北朝鮮の脅威とは 違う などという論理をとらずに 

国民生活という視点から 国民生活を 脅かすことによる 苦しみということにおいては 同じであり  北朝鮮の脅威はもっと苦しみを与える状況にある という視点をもってもらいたいものである

ただ 残念なのは 自分の都合の良い 勝手な理論による発言が 多い


国民の側に立たず ただただ 保身という 立場から 演説しているのには 失望する



安倍総理のいう まっとうな政治 まっとうな社会 とは具体的に どのようなことなのか


安倍政権下における 森友学園問題 加計学園問題は まっとうな政治という範疇と 捉えて言っているのだろうか


もしそうだとするならば それは まっとうな政治 まっとうな社会 とは言えない


私的な政治姿勢の 安倍政権は 信頼できない

安倍総理の 言葉を まともに受け取ることはできない


ことばでは いくらでも 装飾することはできる


装飾することより 真実を語ることではないか









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