豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2020年11月03日 16時30分41秒 | 日記
  ( Vol 2655 )  大阪都構想の市民投票の判定は 市民への 説明不足による結果である  府県と政令指定都市の二重行政解消としての 解消策には 2通りあったのを なぜ 住民投票の前に 住民に提示しなかったのか 大阪市を廃止せず 大阪市が府と同等の権限を持つ 新しい県が誕生する という 特別自治制度構想ならば 住民の賛同を得られたのではないか


政令指定都市のあり方について調べると 歴史的な変遷があった

そこには 自治をする側の欲望が関わっている

それは 府県の自治権を 奪われたくないという 抵抗があった

今回も 大阪都構想を旗揚げした背景には 府県の自治権の確保というところにあった

しかし 市民にとってはどうか 

当初の 政令指定都市を制定しようとした時の構想は 府県と同等の自治権

それは 新たな県を政令指定都市という名において 制定することであった

それは 大阪都構想をぶちあげた 維新の会 橋下氏の 詭弁によって 伏されてしまった


大阪市民にとって というよりも 大阪府の自治権限においてという 視点にたったものであったといえる


大阪市民にとって ということうことを考えるならば

大阪市を廃止せず 存続した形で 自治権の範囲広げた方が 良いといえる

大阪市という 政令指定都市が 府県並の執行力を 持つことができる

なぜ この構想を 市民に示さなかったのか


そこには 政治的な思惑があったのではないか


wikipediaより抜粋すると
その経過は

「指定都市の制度(政令市制度)は、日本の大都市等に関する3つの特例制度(当該制度のほかに中核市、特例市)のひとつであり、1956年(昭和31年)に運用が開始された。これに先立つ1947年(昭和22年)、国は大都市が府や県から独立する特別市制度を設けたが、権限を奪われることになる府県が猛反発、これに代えて権限の一部だけを府県から移す制度として設けられたのが政令市制度であった。

と記してある

この経過からも見えてくるように 理想は政令指定都市の権限を 府県と同程度に格上げ することである といえる

いま 特別自治制度が持ち上がっているが 

いま 考える方向は 当初の政令指定都市構想に立ち返る 特別自治制度 ことこそが 府県と政令指定都市の二重行政を解消することになるになるのではないか


この観点からは 大阪都市構想は いろいろな点において 不足があったといえる

いま 持ち上がっている 特別自治制度構想ならば 大阪市民の同意を得られたのではないか

そして 大阪から 新たな発信ができたのではないか


元大阪市長 橋下氏 および 維新の会の 「市民を見る」という 姿勢がなかったことが 大きな敗因である

もし 特別自治制度構想を 掲げて 住民投票をしていたならば 住民の賛成を得られたのではないか

不満が残るのは 権力としての府知事だけである

新しい県が 誕生する 誕生させる という考えができなかったのか 

大阪府知事 大阪市長の 了見の狭さが惜しまれる



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豊前善三のつれづれ日記

2020年11月03日 13時29分19秒 | 日記
 ( Vol 2654 )  「批判する目」 「注意する目」は大事である  何故ならば すべての存在が 不完全であるからである 完全に近づくためには 必要である


体制への批判は なぜ生じるか  

それは 体制のあり方は 完全ではないからである

人の行為への注意は なぜ生じるか

それは 人は完全ではないからである


どんな素晴らしい考え方にも 欠点はある その運用にも 完全ではない

人の考えは 完全ではない


また 存在するもの すべてが完全ではない

特に 人間社会は 「批判」「注意」によって 是正されながら 築かれている

政治は 是正改革され

人は 育てられ

過ごしやすい社会が つくられていく


しかし どんなに是正改革しても 完全な形にはならない 不完全

不完全ではあるが 完全な形に近づこうと 批判 注意 

「批判する目」「注意する目」は 良い方向へ物事をもっていくためには 必要である


世の中 「批判する目」「注意する目」が大きな役目をもっている








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豊前善三のつれづれ日記

2020年11月03日 12時35分01秒 | 日記
 ( Vol 2653 ) 国会における論争において 野党は 国民の代弁者として 追求する役割がある 政権は 真摯に 説明する義務がある 
これを正常な形で行わせるためには 報道の 政権の対応のあり方を 追求する姿勢が必要である


今 与党と野党の あり方について 考えなければならない時期に来ているのではないか

国会における場とは 何か

ここには 国民の代弁者として 国会議員が 知恵を出し会う場としてある のではないか

政権は 政策を提案 それに対して 与野党が それぞれの視点から 論じる

その構図とは 政権は提示 質問を真摯に受け止めて説明  与党は 政権を擁護 野党は 追求 批判

この構図を 国民は見て 野党は批判ばかり と野党を批判

しかし この批判は 正しいのであろうか


いや これは 正しくはない

政権与党が 政権交代によって 野党になり 野党が政権与党になったとき

同じような 構図になる

これが 国会のあり方 


しかし 現実は この構図を歪めらた方向から 意図的に報道は 視聴率を気にして 国民を煽るように報道

また 政権与党は 真摯に説明することに窮して 野党を批判するばかり と罵る

これが いまの国会


本来の国会の構図が 否定されるような報道がなされている ことが残念である


報道は 野党への厳しい目よりも もっと政権に対して 厳しい目で見るべきである

野党がだらしない という視点から見るのではなく

政権が 真摯な対応をしていない ということを追求報道すべきである


報道の 政権の対応の不備を 容認するような報道の仕方が 政権与党の 驕りを生んでいる


強権力を振りかざすようになるのは 批判がなされなくなる ことが 強権を助長する ということを知ることである

常に 「批判の目」にさらされることが 政権の暴走を抑制する

このことを 報道は 忘れているのではないか


これは 日常生活のなかでも 必要である

社会が乱れるのも 「注意する」という批判の目にさらされることがないからである

批判されることがなければ その良し悪しは 判断できない 他人のことへの思いやりもなく やりたい放題 ルール無視状態になる


報道は 国民に 政権への関心をもたせるためにも 批判の目を生かした 報道をしてもらいたい





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