「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

20、姥蛍  ③

2021年10月23日 08時30分37秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・真実といえば、私は一人の男性に目を惹かれた。

数珠を手にかけ、合掌瞑目をして、
霊柩車を見送っている男性がいた。

遺族ではなく、故人のお棺に心から別れを告げている。
七十二、三という年ごろ。

私も思わずその男と並んで春川夫人のお棺に手を合わせる。

(ご主人の亭主関白に悩んではった、というけれど、
ご主人はあなたの死に、涙を見せてはりましたよ・・・)

私は、春川夫人にそう言いたい心持で合掌した。
ホッとして顔をあげると、その男と目が合った。
何となく二人で顔を見合わせる。

山永夫人は、これから孫が家へ来るのでタクシーで帰るという。
「また、いつかね、春川夫人のことについてお話するわ」

私はやっと白い日傘をさした。
暑かったこと!

「駅まで?」と彼は聞き、連れだって駅へ歩く。
男の方は、

「さっき、ご主人のお話にありました、
ご主人が入院なさっていた時、知り合った者です」と言う。

春川氏が「三年前の大病」で入院していた時、
彼の妻も入院していた。

看護の辛さ、病状などを話すようになり、
春川夫人と知り合ったそうである。

「私はその時、家内を亡くしましてね」

「あら、まあ、それは・・・」

「春川さんは回復して退院なさったんですが、
私の方はダメでした・・・そういう知り合いでして」

さっぱりして、奥ゆかしい教養もほの見える男である。
駅へ着いた。

男も阪急電車を使い、東行きに乗るという。
駅で別れる時、

「どうぞお元気でいて下さい。
春川さんの分まで長生きして下さい」と言う。

私は胸がいっぱいになってしまった。

もう二度と会うことはない、
名も知れぬゆきずりの人との間に、
ひととき通い合うぬくもりを私は愛する。

ところが世の中は面白いもので、
私はその男と再び会ったのである。


~~~


・私は「プラザ毎朝」という地域紙から、
表彰状を受けることになった。

地域の小さいニュースや情報が満載されて、
人々に愛されている。

私は毎年、ささやかながら続けている、
母子寮と乳児院への寄付を表彰されたのである。

この表彰には賞金などつかない。
表彰状と花束である。

私と一緒に表彰された男を見て、
私もびっくりしたが、男もびっくりした。
滝本啓三という男の名も知ることになった。

滝本氏は小中学校の図書室に折々本を寄贈しており、
それを表彰された。

「パンジークラブ」の山永夫人もやっと元気を取り戻し、
「古典散歩一泊の旅」に参加すると言った。
これは、みな楽しみにしていた。

「源氏物語」の跡をたずねて歩く旅である。
京都は夏のこととて暑いので、
須磨から始めようということになった。

先生は大学を退職した古典学者、
女性は二十五人、男性は七人、
驚いたことに男性の中に春川氏がいるではないか。

春川氏は白いコットンパンツ、
マドロスボーダーのTシャツ、
白いピケの帽子で表れた。

「家内がお世話になっておりましたそうで、
家内のやっていたことを一つやってみようと、
思い立ちました。よろしくお願いします」

神戸駅のホームで集合し、電車で須磨へ向かう。

先生に「須磨」のさわりを聞く。
その後、播州の奥の山間の小さな温泉に泊まって、
あくる日、明石へ出て帰るという予定。

快晴の美しい夏の一日。






          


(次回へ)

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