
・真実といえば、私は一人の男性に目を惹かれた。
数珠を手にかけ、合掌瞑目をして、
霊柩車を見送っている男性がいた。
遺族ではなく、故人のお棺に心から別れを告げている。
七十二、三という年ごろ。
私も思わずその男と並んで春川夫人のお棺に手を合わせる。
(ご主人の亭主関白に悩んではった、というけれど、
ご主人はあなたの死に、涙を見せてはりましたよ・・・)
私は、春川夫人にそう言いたい心持で合掌した。
ホッとして顔をあげると、その男と目が合った。
何となく二人で顔を見合わせる。
山永夫人は、これから孫が家へ来るのでタクシーで帰るという。
「また、いつかね、春川夫人のことについてお話するわ」
私はやっと白い日傘をさした。
暑かったこと!
「駅まで?」と彼は聞き、連れだって駅へ歩く。
男の方は、
「さっき、ご主人のお話にありました、
ご主人が入院なさっていた時、知り合った者です」と言う。
春川氏が「三年前の大病」で入院していた時、
彼の妻も入院していた。
看護の辛さ、病状などを話すようになり、
春川夫人と知り合ったそうである。
「私はその時、家内を亡くしましてね」
「あら、まあ、それは・・・」
「春川さんは回復して退院なさったんですが、
私の方はダメでした・・・そういう知り合いでして」
さっぱりして、奥ゆかしい教養もほの見える男である。
駅へ着いた。
男も阪急電車を使い、東行きに乗るという。
駅で別れる時、
「どうぞお元気でいて下さい。
春川さんの分まで長生きして下さい」と言う。
私は胸がいっぱいになってしまった。
もう二度と会うことはない、
名も知れぬゆきずりの人との間に、
ひととき通い合うぬくもりを私は愛する。
ところが世の中は面白いもので、
私はその男と再び会ったのである。
~~~
・私は「プラザ毎朝」という地域紙から、
表彰状を受けることになった。
地域の小さいニュースや情報が満載されて、
人々に愛されている。
私は毎年、ささやかながら続けている、
母子寮と乳児院への寄付を表彰されたのである。
この表彰には賞金などつかない。
表彰状と花束である。
私と一緒に表彰された男を見て、
私もびっくりしたが、男もびっくりした。
滝本啓三という男の名も知ることになった。
滝本氏は小中学校の図書室に折々本を寄贈しており、
それを表彰された。
「パンジークラブ」の山永夫人もやっと元気を取り戻し、
「古典散歩一泊の旅」に参加すると言った。
これは、みな楽しみにしていた。
「源氏物語」の跡をたずねて歩く旅である。
京都は夏のこととて暑いので、
須磨から始めようということになった。
先生は大学を退職した古典学者、
女性は二十五人、男性は七人、
驚いたことに男性の中に春川氏がいるではないか。
春川氏は白いコットンパンツ、
マドロスボーダーのTシャツ、
白いピケの帽子で表れた。
「家内がお世話になっておりましたそうで、
家内のやっていたことを一つやってみようと、
思い立ちました。よろしくお願いします」
神戸駅のホームで集合し、電車で須磨へ向かう。
先生に「須磨」のさわりを聞く。
その後、播州の奥の山間の小さな温泉に泊まって、
あくる日、明石へ出て帰るという予定。
快晴の美しい夏の一日。



(次回へ)