むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

8、賢木 ③

2023年09月02日 08時38分06秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・奥ゆかしく、
みやびやかな斎宮御母子の出発を見ようと、
当日は物見車がたくさん出た。

斎宮は申の刻(午後四時)御所に参上された。

御息所は、
輿に乗るにつけても、
わが来し方、
女の生涯が思い返され、
いいつくせぬ感慨が胸にあふれた。

亡き父大臣が、
娘を行く末は皇后にもと志して、
大切にかしずいて下さった。

時移り、
わが身の運命は狂ってしまった。

こんな身の上になって、
御所を見るにつけても、
さまざま物思いに心は濡れる。

御息所は十六で、
今は亡き東宮(皇太子)の妃として入内し、
二十歳で先立たれた。

三十過ぎた今また、
内裏を見ることになったのだった。

(わたくしの生涯は何だったのだろう)

御息所は悲しく思った。

斎宮は十四になられる。
もともと美しい姫宮であられる上に、
今日は晴れのご装束なので、
この世の女人とは思えないほどである。

若い朱雀帝は、
この美しいおん従妹の姫宮に、
お心を動かされた。

式果てて、
斎宮ご一行が退出されるのを、
人々は待っていた。

暗くなってから行列は出立した。

二條から洞院の大路を曲がると、
二條院の前に出る。

行列は源氏の邸の前を通ってゆく。

さすがに源氏は堪えかねて、
榊の枝につけて歌を送った。

<ふりすてて今日は行くとも鈴鹿川
八十瀬の波に 神はぬれじや>

(わたしを振り捨ててあなたは伊勢へ行く。
しかし鈴鹿川を渡られるとき、
別れの悔いの涙に、
あなたの袖はぬれるのではあるまいか)

次の日、
逢坂の関の彼方から、
御息所の返事があった。

<鈴鹿川 八十瀬の浪にぬれぬれず
伊勢までたれか思ひおこせむ>

(たとえ鈴鹿川の浪に、
私が泣きぬれたとしても、
誰が伊勢の空まで思いやってくれましょう)

霧の立ち込める秋の朝、
源氏は旅空の人を思いしのんで過ごした。

紫の姫君を訪ねることもせず・・・

桐壺の父院のご病気が、
十月に入っていよいよ重くなられた。

世はあげて憂色に閉ざされた。
この君を惜しまぬ人とてないのである。

朱雀帝もご心配のあまり、
お見舞いに行幸される。

院はご衰弱されていられるが、
東宮のことを、
かえすがえすお頼みになり、
ついで源氏のことも言い置かれた。

「私の在世中と変わらず、
あれを後見と思って、
相談するように。
若いがあれは、
国の政治をとることの出来る才幹がある。
天下を任せられる男だ。
あれが政争にまきこまれるるのを、
避けようとして、
わざと親王にはせず、
臣下に下した。
行く末は大臣として国家の後見をさせようと、
思ったからです。
わが亡きのち、
私の配慮にそむかないように」

としみじみとしたご遺言があった。

帝も悲しく聞かれた。

「決して、
お心にそむくようなことは、
いたしませぬ」

とくり返しお誓いになる。

若い帝のご風姿も、
いよいよ清らかに立派になっていかれ、
ご病床の院は嬉しくも、
頼もしくもご覧になっていた。






          


(次回へ)

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