
・冷え込みのきびしい石造りのたてもの、
日照時間の短い日々は、本当をいうと、
人間が住むのにふさわしくないのかもしれない。
パリの郊外には美しい森がいくつもあるが、
パリっ子が休みになると、
飢えたように郊外へ出かけるはずである。
コレットからサガンにいたるまで、
フランスの「愛」の女流作家は、
自然描写が好きで巧みだが、
「愛」を書くのも感覚的な天分がないと出来ないので、
おのずから、自然を愛する気持ちと、
かかわりが深いのかもしれない。
私は、ボーボワールやデュラスより、
サガンやコレットが好きである。
私はホトトギス氏に頼んで、
プランタンのデパートの書籍売り場で、
『悲しみよこんにちは』や、
『水の中の小さな太陽』の新書版を買ってもらった。
ホトトギス氏は若いだけあって、
さっさと「サガンコーナー」をみつけてくれた。
(むろんフランス語である)
サガンは町の盛り場やサロンの会話、
パーティの華やぎも好んで書くが、
同じように、森のかぐわしさ、
雨のしずく、風の匂い、
郊外のレストランの庭での食事など、
楽しそうに書いている。
コレットの自然描写は、いうまでもない。
彼女らにとっては、
肌に感じる日光の熱さは、
耳元で聞く男の甘い言葉と同じくらい、
官能的な快楽であるらしい。
ラルチーヌ母さんの神経痛に悩んでいる姿なぞ見ていると、
パリのたてものは体に悪いんじゃないかと思われる。
パリの町には足の悪い人も多く、
杖をついて歩いているが、
これはパリ在住の日本人の考察によると、
足が細すぎて体重を支えきれないのではないか、
という。
胴長、短足の方が体のためにはよいかもしれない。
さて、かんじんの食べ物は、
仔牛のクリーム煮がやさしい味であった。
ソースが濃厚でなくてよい。
あとはアイスクリームに、
カシスという野イチゴのジュースをかけたもの、
それにコーヒーという段取り。
私はここでパルミエという椰子の芽に、
マヨネーズをかけたのが好きだった。
パルミエはこのごろ、
日本でも缶詰で売っているけれど。
私たちの横の一人者はゆっくりと料理を楽しみ、
一人でワインを飲んで飽きる風もない。
充分に一人の食事を楽しんでる風情。
日本だと、レストランへ入って一人でゆっくり、
ということがない。
たいてい、食べながらテレビを見たり、
新聞を読んだりしている。
フランスの中年一人者は、
黒髪黒眼、黒い服に赤いネクタイ、
目つきの鋭い、髭のそりあとも青々した、
堅気の勤め人といった男である。
いかにも独身者、という風情が身についているのは、
食事の仕方からわかる。
女房子供が里帰りしているあいだ、
食べに来ている、というていではないのである。
「独身というのはぜいたくなんですねえ。
税金も高いですし」
とムッシュ・フランソワーズはささやいた。
高い税金を払ってでも独身でいるほうがいい、
という人は、たいてい気むずかしい人である。
よって私は、
女の独身貴族は好きだが、
男の独身貴族は当惑するところがある。



(次回へ)