
・パリで待望のカキを食べたのは、
「ラ・マン」という高級料理屋、
ここにご招待されたのであって、
この度の旅でいちばん贅沢なレストランであった。
赤提灯もよいが、
私も女でありますから、
いっぺんぐらいはキチンとした、
すてきなレストランで着物を着替えて、
食べてみたい気がする。
尤も「ラ・マレ」へ行ったのは、
お昼のご招待にあずかったのであって、
店内には中小企業の社長というか、
会社の部長というか、
そういう人々が商談かたがた、
会食していた。
客より給仕の数が多いような、
本物のレストランで、
さして大きいというのではないが、
こってりと贅沢な感じ、
うすっぺらなレストランではないのだ。
招待して下さった側はパリ生活の長い人で、
大きなメニューに目を通し、いちいち説明して、
「これはどうです」とすすめて下さるのであるが、
そういう人でもワインはソムリエのすすめに従う。
ポスターほどもあるメニューの裏はいちめんのワインリスト、
とてもワインの種類をあげつらえない、という。
ましてやソムリエがぽんとあけたのをひと口飲んで、
「どうですか」といわれたときに、
「あかん、もっと冷やせ」とか、
「別のを持ってこい」とは言えないそう。
「いけない、というなら、
いけない理由をとうとうとしゃべれなくちゃ、いけません。
とてものことにそんな知識があるはずもない」
ワインは店のおじさんに任せ、
ここでは食前酒にキールを飲み、
フランボワーズ(木いちご)のジュースに、
シャンペンを入れたのを飲む。
これも戦中派ニンゲンの私には、
縁日の色付きハッカ水という感じで受け取られる。
カキはブーロンという種類であるそうだが、
まるみのある生ガキで、
氷の上に乗ってくるのを見るのは、
心おどるもの。
私はパーティがあんまり好きではないが、
それは、生ガキなんか出ていると、
卓上のそれをみんな食べたくなり、
どこまで遠慮しないといけないのか、
どのくらい自分が食べていいのか、
見さかいがつかないからである。
そうして遠慮して食べないでいると、
他の人も忘れているのか、遠慮しているのか、
いつまでも、一皿何ダースかの生ガキが残されている。
私はもう気になって、
パーティ出席者に挨拶するのも忘れ、
スピーチの言葉も耳に入らずに、
生ガキばかり見つめているということになる。
そうして不機嫌になって帰って来る、
という仕組みで、とくに冬場のパーティがいけない。
生ガキのことばかり考えて、
パーティはうわのそらになってしまう。
そのくらい生ガキ好きである。
冬になると神戸のオリエンタルホテルの上の、
レストランへ食べにいったりする。
次に出たのはスズキの料理で、
これはこってりしたソースがかかって重厚な味わい、
よく太ったスズキである。
私は魚料理というのは、
西洋の小説に教えられるところが多かった。
西洋の小説を読むと、
マスの頬の肉がうまい、とか、
スズキの肉の美味しさなどが出てくる。
日本の小説は、
魚を食べる民族にしては、
魚の美味しそうな感じが出てこない。
アユでもハモでも、
季節のいろどりのように、
淡白さを賞でられている。
あるいはその姿のよろしさとか、
香気は書かれるが、
魚の頬の肉をほじくってむさぼり食べる、
という描写はないようである。
フランス料理の美味しさは、
ソースにあるのはむろんだけれど、
私は一度フランス人が、
皿に残ったソースをパンでさらえて食べ、
あと更にパンの固まりでナイフとフォークを拭いて、
食べているのを見た。
「ラ・マレ」での話ではない。
あと、ナイフとフォークをまた使えるぐらい、
きれいにしていて、驚いたことがあるが、
こういうのは全く「舌づつみを打つ」
という言葉が実感としてくる。



(次回へ)