「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

ありがとうございました

2021年12月01日 14時24分57秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・田辺聖子さんの「姥シリーズ」昨日で読み終えました。
拙い私のブログにお付き合い下さってありがとうございました。
心から感謝です。

私も歌子さんと同年代になりました。
そして、もう一つの懸念は今は元気でいられることに感謝しながら、
いつかは訪れる、伴侶との別れ、どちらが先かわかりませんが、
早晩、訪れるのは必定。

そこで、田辺さんの書かれた「残花亭日暦」を読んでいこうと思います。
これは、ご主人の、カモカのおっちゃん、との死別を、
2001年(平成13年6月)~2002年(平成14年3月)に渡って記された、
日記です。


~~~


・田辺さんは1928年のお生まれ、
2019年6月にお亡くなりになりました。

私の記憶に間違いがなければ、
(あったとしたらごめんなさい)
田辺さんの生家は大阪は福島の大きな写真館でいらした。

長女でいらして弟妹が一人ずついらした。
曽祖母、祖父母、両親、女中衆やたくさんの写真の技手がいる、
大家族の中で幼少期を過ごされ、この中身は、
2006年10月から放送された朝ドラ「芋たこなんきん」で詳しいですが。
藤山直美さんが聖子さんを演じられました。

そして、戦後、写真館は焼失し、聖子さん一家は、
尼崎で借家住まい、病気がちのお父さんは早世され、
聖子さんは一家の大黒柱として金物屋さんの事務員で働きながら、
大好きな小説を書いておりました。

その小説書き仲間の先輩の女流小説家と親交があり、
彼女には夫も2男2女の小さいお子さんもいることを知り、

ところが、その先輩の小説家さんが病気で亡くなられて、
ご縁があって、その方のご主人と聖子さんは結婚されます。

一度に4人の子供のお母ちゃんになって、
ご主人は下町で開業医をされていたので、
お医者さんの奥さんとしても働き、子育てをし、
その合間に小説を書くというスーパーウーマンでした。

ご主人もとってもいい人で、
聖子さんはご主人を「カモカのおっちゃん」と呼び、
カモカシリーズは長く続きました。

ちなみに「カモカ」とは、
こちら関西では言うことを聞かない子がいると、
「噛もうか」とやってくる「カモカ怪獣」のように思われています。

そのカモカのおっちゃんが体調を崩し、
やがては旅立つまでの日記です。

よろしければおつきあい下されば大変嬉しいです。






          

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