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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

7、葵 ⑨

2023年08月28日 08時09分02秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・つれづれなるままに、
紫の姫君と碁を打ったり、
漢字遊びなどをして終日遊んだ。

姫君は利発で、
しかも愛嬌があり、
はかない遊びごとにも、
すぐれた素質が見える。

紫の姫君が、
ほんの子供で女として見ていなかったころは、
肉親のように可愛がるだけだったが、
源氏は今では、
その愛が微妙に変化して、
押さえがたい悩ましさになっている。

源氏は共に過ごす日を重ねるにつれて、
物思わしく苦しくなり増さるばかりである。

小さいときから、
一つの御張台のうちに一つふすまをかぶって、
添い臥しする習慣になっていることとて、
紫の姫君は今も、
源氏に抱かれて眠ることを、
何とも思っていないらしかった。

そうして、
とりとめもない話を交わしているうちに、
姫君はすこやかな眠りに落ちるのが、
きまりだった。

こんな無垢のおとめには、
もう少しの間、ときを与えて、
おもむろに開花を待つべきかもしれない。

しかし、若い源氏はもう待てない。

長いあいだ、心から愛しんだものを、
もう待ちきれない気がする。


・・・・・・・


「今朝は、
お姫さまはお目覚めが遅いのね」

「殿さまはもう早くに、
東の対へいらっしゃいました」

と女房たちが言い合っていた。

「ご気分でも悪いのかしら?」

と姫君を案じていたが、
姫君は寝所にひきこもったきり、
声もしない。

姫君の枕もとに硯の箱がおいてある。
これは源氏が置いていったもの。
 
姫君は人のいない暇に、
あたまを上げると引き結んだ文があった。

<あやなくも へだてけるかな夜を重ね
さすがになれし 中の衣を>

(今までなんとよそよそしい、
二人の仲であったことか。
これでやっと二人のへだては、
なくなったわけだ)

というような心であろうか。

こんな気持ちでいる人とは思わなかった、
と姫君は打撃を受けて混乱していた。

こんなひどい人とは思わず、
なぜわたくしは心から頼っていたのかしら、
と思うと紫の君はなさけなくて悲しくなった。

昼ごろ源氏はやってきて、
御張台の内をのぞくと、
紫の君はいよいよ引きこもってしまう。

女房たちも退いたので、
源氏がふすまをとりのけると、
紫の君は汗びっしょりになっていた。

源氏がさまざま言いなだめても、
紫の君は源氏を恨んでいるので、
ひと言もものを言わない。

「それじゃもう、私は消えるよ」

といって、
硯の箱をあけたが返事は入っていない。

子供っぽいことだと、
いっそう可愛かった。

その日は一日、
寝所につききりであれこれ慰めたが、
紫の君の心はとけない。

その夜は、
亥の子の餅を食べる日だった。

十月はじめの亥の日に餅を食べると、
万病を防ぎ、
子孫繁栄すると信じられている。

ただ源氏は服喪中なので、
ことごとしくせず、
姫君の方だけ趣きありげに持ってきてある。

源氏はそれを見ると、
惟光を呼んだ。

「この餅は、
こうおおげさなものではなくて、
明日の暮れ方持ってまいれ」

惟光はいぶかしげに見上げたが、
源氏が微笑むと、
カンがいい男なので悟ってしまった。

「心得ました。
おめでたのお餅は、
日を選んで召しあがるものでございます。
明日のお餅はどれほど作ってまいりましょうか」

「今夜の三分の一ぐらい」

と源氏は答え、
それで惟光はすっかり心得て、
のみこみ顔で退っていく。

新婚三日目の夜に、
新郎新婦は紅白の餅を食べるのが、
めでたい習わしとなっている、

「三日夜(みかよ)の餅」
と呼ばれているのがそれだが、
惟光は人に言わず、
自分で心を用いてひそかに家で作った。






          


(次回へ)

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