「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「残花亭日暦」  1

2021年12月02日 09時17分46秒 | 「残花亭日暦」田辺聖子作










・2001年(平成13年)
6月2日(土)

暑いせいか、パパ(カモカのおっちゃん)は、
あまり機嫌がよくなく、一日テレビの前に坐っている。

母は昼寝ばかり。
老いると赤子に帰るのかもしれない。

しかし、起きているときは元気なんてもんじゃなく、
ちょっと新聞を持って行くのが遅れると、

「この家には新聞というものはないのですか」

と皮肉を言い、老眼鏡をかけて、
更に大きい天眼鏡をふりかざして社説なんて読んでる。
全くかわいくない。

庭のテッセン、紫と白、ともに咲く。
今日、植木屋さんが入り、お隣との境のヒマラヤ杉を、
短く刈り込んでくれた。


・6月4日(月)

京都日航ホテルで講演。「源氏の魅力」について。

このタイトルで各所で話しているが、
少しずつ内容は変えているものの、
要は「源氏」のすごさである。

千年前にこんな近代的小説が女流の手に成ったということは、
信じられない。以後の日本文化の原型を形作り、
日本文学をリードしてきた。
圧倒的な存在感、民族の財産である。

肉声で源氏を語ると、私自身が今まで思いもしなかった、
細部の意味が生彩を帯びて立ってくる。

人間がみずからしゃべり、その肉声を聞いてもらうという、
ナマ身同士の交歓は新しい発見と感動をもたらす。

三百人あまりの聴衆が一時間半ものあいだ、聞いて下さる。

私は「源氏物語」の研究家でも専門家でもないが、
小説書きだから、語り部にはなりたいと思っている。

今日は作者の紫式部の目で物語を語り、
新機軸を出そうとした。


・6月5日(火)

パパは少し足にむくみが出て、やや熱あり。
みんなでお医者さんに来て頂こうかと相談し、パパに言うと、

「うっせえ、やかましい!」

というからやめた。
それに今日は火曜日、訪問看護士さんが来て下さる日だ。

若い看護士さんはパパの熱をはかり、
もう平熱ですから、心配ないでしょう、
血圧も正常と報告して下さる。

パパと看護士さんの対話。

「あんた、べっぴんやなあ~」

「いや~、それはゴマすりでしょ」

「うん、ちょっとだけな」


・6月6日(水)

今日からパパはショートスティ。
迎えの車、福祉施設の車は後部が開いて、
車イスを持ち上げ、そのまま車内へすべりこませる、
いじらしくてかしこげなキカイである。

「行ってらっしゃい!」

とみんなで手を振るが、
黒ガラスの向こうのパパはよく見えない。
しかし、いやがらずに行ってくれるので助かる。

午後は読売新聞から川柳についての取材。
大阪の川柳について。

<大阪は よいところなり 橋の雨> 岸本水府

<道頓堀 帰るに惜しい 時間なり> 篠村力好

プロの川柳家は言葉の配置や音の流れに、
デリケートな注意を払うから、しらべが美しい。

よくあるサラ川(サラリーマン川柳)や投稿川柳の我流句は、
ゴツゴツして覚えられない。

これは素人の句の特徴で、ちょっと先達について、
勉強するとしらべが変ってくるようだ。

でも、私は実作はしない。

<気張らんと まあぼちぼちに いきまひょか>

が唯一の作品。

「大阪は」「道頓堀」の句のように、
帰るには惜しい、と市民に思わせるような魅力的な町にしてほしい。


・6月7日(木)

今日は東京のテレビ朝日の方が来宅。
「徹子の部屋」の出演につき打ち合わせ。


・6月8日(金)

「婦人公論」のインタビュー。
大人の女の遊び方、楽しみ方の取材。

私はお恥ずかしいことに、
音楽は聞くばかりで楽器はいじることも出来ない。

絵は見るのは好きだが、描くとなるとスケッチ程度。
お茶、お花、ダメ。

昔の私の気分転換は、小物の刺繍や袋物を作ることだった。
今は針に糸を通すのが面倒なので、美しい千代紙を集め、
小箱やノートの表紙に貼り、楽しんでいる。
身辺、花やかな彩りにあふれていい。

また、好きな本が出来ると我流に装丁する。
布や和紙、千代紙を貼ったりして、これは本当の愛蔵本。

その他、西洋骨董や、貝、万華鏡のコレクション、市松人形。
そんなものを並べて下さいと言われ、足の踏み場もないありさま。

あとで元へ戻すのに半日かかった。
しかし、これらもそろそろ手元から散らせるべき。

他人さまからご覧になれば、タダの紙クズだろう。
いつか私も逝ってしまうんだし・・・






          


(次回へ)

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