聖なる書物を読んで

現役JW29年目

使徒たちの活動25章

2019-01-22 | 聖書
1~5節。フェリクスの後を継いだフェストは、まずエルサレムへ(ユダヤ人へのご機嫌伺い?)。祭司長や主立った人々は、2年経ってもパウロを殺害しようと企んでおり、フェストに、パウロをエルサレムに送ってくれるよう願う。フェストは、すぐにカエサレアに帰るので一緒に来て訴えよ、と彼らに言う。

フェストは16節で「弁明の機会を与えられないうちに、好意の処置としてその人を引き渡してしまうのはローマの人のやり方ではない」と言っているので、祭司長たちがパウロを待ち伏せして殺そうとしているのを、見破っていたのかもしれないなぁ。
3節の「好意の処置として」って分かり辛い表現だけど、他の訳では「特別の計らいをもって」「特例(で)」「よく計らって(くれるように)」など。
16節の「好意の処置として・・引き渡す」は、他の訳では単に「引き渡す」「くれてやる」など。

6~7節。フェストは彼らとカエサレアへ戻り、翌日には裁きの座に着く。彼らはパウロの回りに立って、多くの罪状を並べ立てるが立証できない。

「多くの罪状」の内容は、8節でパウロが弁明してる「律法、神殿、カエサル」に対するものだったのだろう。

8~12節。パウロは「何の罪も犯していません」と言う。フェストは「ユダヤ人の歓心を買おうとして」、エルサレムへ上ってわたしの裁きを受けたいか、と尋ねる。パウロは、わたしはカエサルの裁きの座の前に立っている、ご存知のように何も悪いことはしていないのだから、わたしをユダヤ人たちに引き渡すことはできない、カエサルに上訴する、と言い、フェストは受け入れる。

フェストもフェリクス同様(24:27)「ユダヤ人の歓心を買う」ために、パウロが無罪と分かっていても結審しなかった。あとあと面倒だと思ったからだろう。フェストがパウロに、エルサレムへ行くかどうか尋ねたのは、エルサレムへ連れて行けばユダヤ人たちは喜ぶし、たとえパウロが殺されても、自分には被害が及ばないで決着がつくだろうということで、政治家にありがちな自己保身かな。パウロも、フェストの立場を考慮して上訴したのかもしれないいな。

パウロが上訴したのは、組織が言うように「良い知らせ(「良いたより」じゃなくなったのかな?w)を擁護するため」じゃないよね。自分が殺されないために、当然の権利を用いただけだよね。ローマに行くことは、パウロ自身の願い(19:21)でもあったし、神のご意志(23:11)でもあったし。(この時の皇帝はネロ。64年のローマの大火の前に、パウロはローマの弟子たちを強めることができただろう)

そんなこんなで、同胞であるユダヤ人に殺されそうになってるパウロは、ローマ人の軍司令官やフェリクスやフェストによって、法に則って命を守られた。

組織は、当局者の前でどのように弁明するか備えておくように、なんて脅すようなこと言うけど、パウロは「罪を犯していない」ということを事実通り弁明しただけ。その通りだから告発者は証拠をあげられなかった(イエスも同じ)。(ちなみに、アグリッパ王はすでにユダヤ教に詳しい人だったから、ユダヤ人の群衆に話したのと同じように、自分がイエスを信じるに至った経験を話した。これは弁明とは違う)

13~27節。アグリッパ王とベルニケがフェストを訪問(就任の儀礼訪問)。フェストはパウロの件を持ち出す。アグリッパ王がパウロの話を聞きたいとのことで、翌日、アグリッパ王とベルニケの前にパウロが連れ出される。フェストは、パウロに罪を見いだせなかったこと、パウロは上訴したが、主(カエサル)へ書き送る訴因を得られるかと彼らの前に連れ出したことなど話す。

このアグリッパ王は、代々ユダヤを治めているヘロデ家のアグリッパ2世。父のアグリッパ1世は、使徒ヤコブを剣で殺し、神の天使に撃たれ虫に食われたように息絶えた。父のおじのアンテパスは、バプテストのヨハネを殺した。その父(アグリッパ2世の曽祖父)がヘロデ大王で、幼子だったイエスを殺そうとした。
ヘロデ家は、元はイドマヤ人つまりエドム人で、名目上のユダヤ人(割礼を受けていた)。

19節。フェストは「神に対する自分たちの崇拝(他の訳では「自分たちの宗教」)に関し、また、死んだ者なのに、生きているとパウロが主張しつづけるイエスという人物に関して、ある種の論争があるだけ」と。

宗教に関する論争は政治家にとってはメンドクサイだけ。なのに「法的に確立する」なんて息巻いてる組織は、厄介な存在でしかない。世から離れていなさい、と信者に強制するのなら、ご自分たちもそうなさってください。訴訟に勝ったなんて威張ってないで。

26節。ここでカエサルに使われてる「主」(キュリオス)という言葉。クリスチャンはイエス(もしくは神)を証しする時に用いていた。ローマ人にとっての我が主はネロ、クリスチャンにとっての我が主はイエス(神)だったわけだから、ネロがクリスチャンを迫害したのも、こうしたことが背景にあったんだろうなぁ。