聖なる書物を読んで

現役JW29年目

使徒たちの活動26章

2019-01-23 | 聖書
1~23節。パウロはアグリッパ王に話す。パリサイ人であったこと、父祖になされた約束の希望に関して裁かれていること、イエスに敵対していたこと、イエスの顕現、啓示に背かなかったこと、神の助けを得て宣べ伝えてきたこと、それは預言者やモーセが述べた通り、キリストが苦しみを受け死人の中から最初に復活して光を告げること、など。

この部分は9章や22章を参照しながら読むと興味深い。
特にここでは、アナニアに関連したことが省かれ、アナニアがイエスから聞いた言葉を、パウロは少し補充して、顕現したイエスから聞いた言葉として述べている。

今回は新世界訳と他の訳との比較が主です。

3節。新世界訳「精通した方」。他の訳では「よく知り抜いておられるかた」「もっともよく通じておいで」「みなよくご存じ」「よく御存じの方」など。
「精通する」っていう言い方が、エホバの証人独特でイヤだなぁ・・・

同節。新世界訳「辛抱して」。他の訳では「寛大なお心で」「忍耐をもって」「寛容に」など。
「辛抱強さ」を霊の実の一つとしてるエホバの証人らしい訳だけど、これもイヤだなぁ・・・

5節。新世界訳「崇拝方式」。他の訳は「宗教」「宗教信仰」など。
「崇拝方式」っていう言葉(7節の「神聖な奉仕」)も、エホバの証人独特でイヤだなぁ・・・

8節。新世界訳「なぜあなた方の間では、神が死人をよみがえらせるということが、信じられないこととされるのでしょうか」。
他の訳もほぼ同じ意味なんだけど、田川訳が興味深い。「もしも神が死人たちを甦らせるのであれば、皆様方がそれをどうして不信仰だなどと批判することがありましょうか」となってる。
パウロは、この文の前に父祖たちの約束の希望について語っていて、この後に復活したイエスの顕現を語るのだから、田川訳の方がしっくりくるかなぁ。新世界訳だと、唐突に相手を非難してるように感じるもんなぁ。

11節。新世界訳「変節を迫り」。他の訳は「無理やり神をけがす言葉を言わせようとし」「み名を汚すことを強い」「イエスを冒とくするように強制し」「冒瀆を犯すように強い」など。
「変節」とは、信念・主義・主張などを変えること、とある。パウロが、イエスへの信仰を捨てさせようとしていたのか、神を冒涜させて捕まえようとしていたのか、全然違う意味になるよね。こんな言葉を使ってたなんて、今回初めて気が付いた。新世界訳、恐るべしw。   

12節。新世界訳「ぱっと光る」(9:3,22:6)。他の訳は「照らす」「輝く」など。
新世界訳は言い方がほんと独特だなぁ。

14節。新世界訳「突き棒を蹴りつづける」。他の訳「とげの付いた棒をける」「尖り棒を蹴とばす」など。
ギリシャの格言らしい。自分を傷付けるだけの愚かな反抗、と言った意味。
パウロは迫害することで自分を傷付け(罪を重ね)ていた。

18節。新世界訳「相続財産」。他の訳で近いのが「(神の国の)相続」「恵みの分け前」。他は「(聖別された人々に)加わる」「(聖化された者の)中に加わる」「きよめられた人たちの)仲間に入れていただく」など。
「(相続)財産」って、なんだか貪欲なイメージ・・・さすが統治体。

19節。新世界訳「わたしは天からのこの光景に背かず」。他の訳もほぼ同じ。田川訳「この天的な顕現に私が従わないなどということはありえないので」。

20節。新世界訳「音信を伝える」。他の訳「告げる」「説き勧める」「伝える」など。
「音信」って言い方も独特。イヤねぇ・・・


24~32節。フェストはパウロに、博識がお前を狂わせている、と叫ぶ。パウロは、狂っていない、真理と節度ある言葉を話している、片隅で行なわれたのではないから王もご存知のはず、と述べ、預言者を信じておられますよね、と迫る。アグリッパ王は、クリスチャンにしようとしている(がそうはいかないぞ)、と述べ、パウロは、すべての者が自分のようになるよう願っている、と答える。立ち去りながらアグリッパ王はフェストに、上訴していなければ釈放されただろう、と。

24節。「!」こんなマークは当時なかったでしょ。

他にも突っ込みたいところいっぱいあるけど、もう疲れたのであと1つだけ。

28節。新世界訳「あなたはわずかの間に、わたしを説得してクリスチャンにならせようとしている」。
他の訳「少し説いただけで」「いとも簡単に・・説き伏せて」「短い時間で・・説き伏せて」「僅かな(言葉)をもって・・説得している」など。
そう簡単にはいかないぞ、という反語的な意味合い。わずかな時間なのか、わずかな言葉なのか、わずかな労力なのか、わずかな何なのか・・・限定はできないみたい。