聖なる書物を読んで

現役JW29年目

クリスチャンの結ぶ実

2018-07-13 | ものみの塔
クリスチャンの結ぶ実とは何か。

今週末の、ものみの塔の研究記事(7節~)、ヨハネの15章の解釈。

これは、最後の過ぎ越しのシーンでのイエスの話。

この話をする前に、イエスは、まず弟子たちの足を洗って、
弟子たちが互いに仕え合うべきであることを教えた。

そして、ユダを去らせた後、新しいおきてを与えている。
互いに愛し合うこと。イエスの弟子は愛によって知られる、と。

さらに、ご自分が道、真理、命であること。
イエスと結びついておられるみ父が、ご自分の業を行なっておられること。
イエスを愛するなら、その人はイエスの言葉(おきて)を守り行ない、み父に愛されること。
その人には、み父が助け手である真理の霊を与えてくださること。

などなどを、13章からずっと話され、その流れでこのぶどうの木の話をされる。

それをふまえて読むと・・
大事なのは、イエスと結びついていること(によって、エホバ神と結びついていること)であって、実を結ぶことではない。

実を結ぶ枝とは、木にしっかりくっついて、幹からいっぱい滋養分を取り入れているもの。
つまり、イエスとしっかり結びついている(ことによって、耕作者であられるエホバ神と結びついている)ならば、実を結ぶ枝になれるということ。

結びついているために必要なのは、9、10節にあるように、愛にとどまること。
13節で、友のために自分の魂をなげうつこと、これより大きな愛を持つ者はいない、と。


結ぶ実が、研究記事にあるように、新しい弟子とか新しい王国の種とか、忠実に伝道し続けることとか・・・

そんなことは、まるで関係ない話でしょ。


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