聖なる書物を読んで

現役JW29年目

不信感

2018-07-04 | エホバの証人
もう3年以上経つ。

名古屋の姉妹が、惨殺された事件。


大きな事件だったのに、

まるで何事も無かったように、みんな奉仕を続けている。

話題に出すのもタブー、みたいな雰囲気で。


組織も、結局、無かった事にした。


組織は、個人を守らない。

エホバの証人としての活動は、すべて自己責任。


愛はどこにあるんだろう・・

昔と今

2018-07-04 | エホバの証人
日本のべテルには、2回、見学に行った。

べテルは、宿舎付きの工場、だと思ってた。


ウォーウィックの新しい世界本部。

なにあれ? どこのリゾートホテル?


今、学んで、あれを見たら、

エホバの証人にはならなかったと思う。

滅びる人

2018-07-03 | 聖書
マタイ12:31 「・・人はあらゆる種類の罪や冒とくを許されますが、霊に対する冒とくは許されません」

マルコ3:28、29 「・・人の子らは、冒とく的な仕方でどんな罪また冒とくを犯したとしても、すべてのことは許されます。しかし、だれでも聖霊を冒とくする者には永久に許しがなく・・」

ルカ12:10 「・・聖霊を冒とくする者は許されません」

使徒5:3 「・・アナニヤよ・・聖霊に対して虚偽の振る舞いを・・」

使徒7:51 「・・あなた方はいつも聖霊に抵抗しています」

ヘブライ6:4 「・・聖霊にあずかる者となり・・ながら、なおも離れ落ちた者たち・・」

ヘブライ10:26 「・・真理の正確な知識を受けた後、故意に罪を習わしにするなら・・」

ヘブライ10:29 「・・過分のご親切の霊をないがしろにした者は、はるかに厳しい処罰に値する・・」


簡単に言うと、

聖霊にあずかる者となったのに、その霊に逆らったら滅びるよ。

ということらしい。


だとしたら、今地上にいる人のほとんどは、滅びない。

油そそがれた方々は、気をつけないといけないです。

忌避

2018-07-02 | エホバの証人
排斥・断絶に伴って、それまでの親子・夫婦・友達関係などを、すべて失う。


公式HPには、家族としてのきずなは変わらない、とか、

結婚関係、家族の愛情やかかわりは続く、とか書いてあるけど。

実際は「忌避」によって、絶縁に近い状況に追いやられたりもする。


なぜこんな、非人道的なことができるのか。


エホバの証人にとって一番大切な、エホバへの愛。

それを、実証できると思っているから。

どれほど辛くても。

そして、相手にとってもこれが最善(隣人愛)だと思い、

払った自己犠牲を、エホバが祝福してくださる、と思っているから。


排斥と忌避の、聖書的論拠は、かなりしっかりしている。


自分は、忌避なんてしたくない、間違ってる、と思うのだけれど、

どうやって、聖書から説明したらよいのか、よく分からない。

経験談

2018-07-02 | エホバの証人
学び始めたころは、読んだり聞いたりするのが好きだった。

特に、エホバの聖霊の働きが感じられる話。


でも、いつ頃からか、自慢話にしか聞こえなくなった。

雑誌に載ってる経験談は、読まなくなり、

集会・大会・でのインタビューなども、聞き流すようになった。

ブロード・キャスティングでも、経験談は見る気がしない。

そんなことより、聖書を学びたいと、いつも思っていた。


最近では、研究記事の中のコメントすらすっ飛ばして読む。

そうすると、ほとんど読む箇所が無いときもあったりする。


組織は、聖書ではなく、組織の人間になるにはどうしたらよいか、

を教えている、と改めて感じる。


それが、救いを意味するのか、破滅を意味するのか・・・

まだ、よく分からない。

背教

2018-07-01 | エホバの証人
自分がバプテスマを受けた時と、今と。


● 忠実で思慮深い奴隷=統治体。

● 2つの世代。
 

大きい所で思いつくのは、この2つだけど、

他にも集会やら奉仕の仕方やら含め、

教理が色々と変わってしまってることを思うと・・


自分と組織のどちらが背教しているのか、

疑問に思う。

小麦と雑草

2018-07-01 | ものみの塔
小麦と雑草の例え(マタイ13:24~30、37~43)。


30節に、「収穫の季節になったら」とあるけど、

他の訳では、「収穫の時」とか「刈り入れの時」となってるし、

解き明かしの39節には、「収穫は事物の体制の終結」と、はっきり書かれてる。


でも、この例えを説明している2013年の7月15日号12頁9節から見てみると、

収穫の季節が1914年から始まり、雑草が集められ束にされ、

1919年に小麦が倉に集められ始め、

ハルマゲドン前に小麦が天に集められて明るく輝き、

ハルマゲドンで雑草が火の中に投げ込まれる

ことになってる。


んなわけないでしょ。


事物の体制の終結の時に、イエスがみ使いを遣わし、

つまずきのもとになるものや不法を行なってる者を「自分の王国」から集め出し、

火の燃える炉に投げ込む。

その時、義人たちは「父の王国」で太陽のように明るく輝く。


ってイエスがちゃんと解き明かしてる。


1914年とか1919年とかにこだわってるから、

こんな訳の分からない解釈になっちゃうんだろうな・・


みんな、本当に納得してるんだろうか?