永代橋はその昔、本所吉良邸で赤穂浪士が討ち入り後、泉岳寺にある主君浅野内匠頭の墓所まで向ったとき渡ったとされていますが、当時の位置は現在よりも少しずれたところにあったようです。現在の永代橋は、関東大震災後の復興事業として帝都東京の門と言われ大正15年に竣工しました。ドイツのライン川にかかるレマーゲン鉄道橋がモデルだそうです。余談ですが大正時代は日本にも全国に鉄道網が広がっていった時代で、地方においても鉄橋が建設されましたが、ほとんどがドイツ人技師による設計です。千曲川にかかる鉄橋が市内にも残っていますがやはり大正時代のドイツ人による設計の橋梁で「だからしっかりがっちりしている」と当時の様子を、当時女学校に通っていた叔母が話しをしていたことを思い出します。その頃の日本にはそれだけの技術力はなかったとも言っておりました。
同じ墨田川にかかる勝鬨橋、清洲橋とともに永代橋は今年、国の重要文化財に指定されました。永代橋を門前仲町側から渡り、そのまま永代通りを進むと、兜町、日本橋、そして大手町に向います。
さて、昼間見る永代橋はアーチ形をした美しく力強いプロポーションをしていますが、わざわざ長野あたりから写真を撮りに行きたいとは思いません。しかしながら夜はブルーにライトアップされ対岸の大川端リバーシティの景観とともに、夜景のポイントとして抜群のロケーションとなっています。先日は終電の時間を気にしながらの撮影でしたので、それほど回れませんでしたが、それでもこの稀に見る綺麗な橋を近くで見ることができ大変良かったと思います。荷物が重く(笑)茅場町か八丁堀の駅まで歩く時間がなかったので、タクシーを拾い東京駅に向いました。そうそうお台場もそうでしたが、永代橋のたもとでも、ルアーで夜釣りをしている人を見かけました。いつもでしたら必ず「何が釣れるのか」と聞いていたのですが、今回は話しかける余裕がなかったのが残念です。
同じ墨田川にかかる勝鬨橋、清洲橋とともに永代橋は今年、国の重要文化財に指定されました。永代橋を門前仲町側から渡り、そのまま永代通りを進むと、兜町、日本橋、そして大手町に向います。
さて、昼間見る永代橋はアーチ形をした美しく力強いプロポーションをしていますが、わざわざ長野あたりから写真を撮りに行きたいとは思いません。しかしながら夜はブルーにライトアップされ対岸の大川端リバーシティの景観とともに、夜景のポイントとして抜群のロケーションとなっています。先日は終電の時間を気にしながらの撮影でしたので、それほど回れませんでしたが、それでもこの稀に見る綺麗な橋を近くで見ることができ大変良かったと思います。荷物が重く(笑)茅場町か八丁堀の駅まで歩く時間がなかったので、タクシーを拾い東京駅に向いました。そうそうお台場もそうでしたが、永代橋のたもとでも、ルアーで夜釣りをしている人を見かけました。いつもでしたら必ず「何が釣れるのか」と聞いていたのですが、今回は話しかける余裕がなかったのが残念です。