日本思想史ハンドブック(新書館 苅部直 片岡龍 編纂)が本屋で目に止まる。日本思想ハンドブックでなく日本思想史だ。つまり西田幾太郎などの思想家列伝ではなく、思想史を研究した人々の評伝である。そういった類については研究者でもないし、初めて耳にする研究対象だが、中をめくって読んでみると以外におもしろい。特に思想史家の一人に小林秀雄が出ていることが新鮮でいい。著者のお二方は比較的若手の研究者で片岡さんは専門が日本思想史で荻生徂徠など近世の儒学などを研究し、苅部さんの専門は日本政治思想史です。二人に共通しているのは65年生まれということ以外知りませんが、共に「考えるヒント」を若い頃読み小林秀雄の批評精神を受容していったのではないでしょうか。特に同書の中で、小林秀雄が研究対象(あるいは批評対象)としたベルグソン、ゴッホ、ドストエフスキーなどは、作品を発表した段階ですでに当時の人々から忘れ去られていた対象で、小林自身が青春時代に愛読し、影響を受けた事柄を時流に媚らず生涯にわたり追い求めていたという論考は新鮮で興味深いものです。小林の名品ともいえる、一連の古典と伝統についての文章や、モーツァルトといった文章が、戦争の最中に書かれていたということに時代精神や意識などというやくざな思想がどれほど頼りのないものであるかが分かるのですが、小林の極限まで削った文章の緊張感、透明感の源泉は出身のフランス文学のみならず、若い頃の読書であったということが、大切なことだと思います。前にも書いたような気がしますが、新潮CD文庫の小林秀雄講演集の中で脳神経学者の茂木健一郎さんが推薦文を書いています。茂木さんも若い頃小林作品に相当傾倒されていたということで、茂木さんの熱い思いが伝わる大変いい推薦文になっていますが、一方、私見ですが、ご自身の小林秀雄論については、全く面白みがありません。ただこのように若い頃小林秀雄の影響を受けた、多くの優秀な学者の台頭を見ると受験の意外な効能と言うこともさることながら、本物は長く語り継がれるということを改めて感じます。さて、日本思想史ハンドブックの後ろに、各著者による思想史を知る上で参考になる書物のリストと解説が付されており、その中で特に読んで見たいと思うものがいくつかありました。中でも吉田光邦の日本科学史(講談社学術文庫)は大変おもしろそうですが、すでに絶版となっています。その他の推薦図書についても、近くで品揃え最大の書店で見渡した限り一冊も扱っていませんでした。近頃の本はつまらないと思って久しく、いつも過去のものを読んでいるのですが、まだまだ自分の知らない、優れた名著があるのだと思いはじめています。ただそういう本はあまり売れないため、当然出版社では増版せずやがて、どこかで再評価されない限り、埋もれたままになっています。そういった本を偶然見つけることも読書の楽しみではないでしょうか。
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