映画『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』(2D、字幕版)、鑑賞。
まずは、EP7~8で、あれだけとっ散らかったゴミの破片を、良くぞ集めて、見られる程度のオブジェとしてまとめたな、と。
そこについては、素直に評価してあげても良い。
一方で、EP1~3辺りでも目立ったCG偏重故の動きの軽薄さと、覆い隠しようもないご都合主義の嵐は、ますます増強、増量、大盤振る舞い。
最初の方はイライラしていたけど、途中からどうでも良くなって来て、最後のランド・カルリジアン登場シーンでは、失笑を通り越しての大失笑。
本当に米国って、最終的には脳筋な物量主義に帰結するよね。(大失笑)
へー、連続ワープですか、そうですか。
戦艦の主砲で星が吹き飛びますか、そうですか。
あれ?これって宇宙戦艦ヤマトじゃね、と思ったり。
チューバッカの走り方を見ては、「ああ、スーツアクターさんが変わったんだったな」と実感し。
どうしてミレニアム・ファルコンの、あのセンスの塊のような上部ハッチの開閉を使わないんだ!と憤り。
シスってのは、誰の心にでも宿る暗黒面・・・という事だと思っていたのに、アレだけの戦力は、どういう財政や人員の裏付けがあって構築されたのか、全く描かないのね、と、マジンガーZ以上にテキトーな世界観に嘆息し。
最後の最後なんか、それこそ霊体大集合で、CGのアレック・ギネスも登場させれば・・・。
結局、スター・ウォーズってのは、ルーク、ソロ、レイアの物語だったんだなぁ、という納得感と、パルパティーン以上の悪役を生み出せなかった、今の制作陣への幻滅と。
物凄く無駄な時間とお金を使ったようでいて、一応は着地したね、これで終われるね、という惜別の念と。
エンドロールで、いつものジョン・ウィリアムズ節を聞きながら、EP4でルーカスの期待を遥かに上回るものが唯一、劇伴だったという事への納得感を噛み締めた2時間だった。