パーティーとはとんと縁のない生活をしている。
小さい頃は誕生日パーティーとか、児童会での七夕パーティーとか、色々あったような気もするが、大人になってからは冠婚葬祭と会社の行事を除くと、数えるほどしかない。
リア充とかパリピとかは、「何それ?食べられるの?」という感じで生きている。
さて某ブログで餃子パーティーという記事を読んで、はたと思い出した。
まずは、餃子パーティー。
時は1989年6月某日、ニュースは連日、中国の天安門事件を報道していたが、遠い国の遠い出来事と思っていた私は、平凡な理系の一大学院生だった。論文作成に追われて毎日研究室に通っていたが、まあ、平和な日々を送っていた。
そんなある日、同じ研究室のドクターで中国からの留学生のRさんから、「今日隣の研究室で、餃子パーティーあるので参加しませんか?」とのお誘いをいただいた。
「夜からですか?」と聞いたら、「もうやってます。」との返事。いくらなんでもまだ3時過ぎ。「随分早いスタートですね。」と、隣の研究室を覗いてみると、既に五人ほど集まって作業中。
「助かりますわ、どうぞどうぞ。」と椅子を勧められて、座ったらコテと餃子の皮を渡された。「餡は前のボウルから掬ってください。目標は一人50個です。」
恐る恐るコテで前の餡を掬い、餃子の皮に塗りたくってるその手つきを見た途端、
「Rさん、未経験者は連れて来ないで!」とお叱りが。見ると全員中国からの留学生でした。
「いや、よんださんは大の餃子好きで‥」
「それなら、夜のパーティー本体から参加ください。夜までに1000個包まないといけないので余裕ないのです。」と怒られました。
大急ぎで席を立って、Rさんに譲りました。Rさんが手際よく包んで行くのを感心して見てました。
「日本では自分で餃子包まないのですか?」とRさんに聞かれて
「すいません、餃子包むどころか、料理すら自分でやったことないです。」
一度自分の研究室に戻り、夜の部になったら呼んでもらうことになりました。
夜になったら、隣の研究室が随分賑やかに。Rさんから声がかかったので行って見ると、集まっているのは、中国人留学生ばかり、20人ほどと、私のようにちょっとおっちょこちょいな日本人学生が3、4人。
焼き餃子を期待していたのに、鉢に入った熱々水餃子を渡されました。
最初は穏やかに三々五々飲んでいましたが、途中から、中国語で悲憤慷慨する人が現れ、何やら荒れた感じに。Rさんに何て言っているのか聞いてみたら、「天安門事件で同胞が多く死にました。我々は怒っているのです。」との答え。何だか日本人が混じっているのが場違いな雰囲気に。いただいた水餃子の鉢とビールのコップを空にし、大急ぎでその場を立ち去りました。
その後、何事もなく、Rさんとも研究室の先輩・後輩として、普通に、付き合っておりました。
天安門事件のことは、それきり忘れていたのですが、就職して同じ職場に配属された同期に、東大のドクターコースを卒業した中国生まれのCさんがいました。明らかに研究者気質のCさんに、懇親会の場で、なぜ民間企業に就職したのか、聞いてみたところ、
「天安門事件で私は祖国を失いました。もうあの国には危険で帰れません。日本で生きていくために、お金を稼がないといけないですね。」
と、重い返事が。餃子パーティーに集まって来た人たちの厳しい表情を思い出して、身が引き締まる思いでした。
次はカレーパーティーの話。
入社3年目に、インド系アメリカ人のA君が、我チームに加わりました。A君は両親がインドからアメリカに移民した2世で、私の勤めていた会社の北米支社で採用され、日本でのソフトウェア開発業務を希望したので、我々のチームに送り込まれました。
私が受け入れ担当をアサインされ、伊丹空港まで迎えに行き、彼を一度寮まで案内し、スーツケースを寮の部屋に置いた後、職場まで連れて来ました。拙い英語で問われるがままに日本の生活習慣について色々と説明しました。
彼は大変なハードワークで、一年ほどで、流暢な日本語とソフトウェア開発能力を身につけ、第一線で働くようになりました。ただ、それから給与の安さと寮の部屋の狭さにずっと文句を言い続け、人事との折衝も私が仲介しましたが、最後まで納得いかなかった様子で、私が東京転勤になる頃に会社を辞めてしまいました。
A君と同時期に、同じく我チームに配属された研究業務アシスタントのBさん。彼女も東京本社採用で、特許知的財産関連の事務を希望ということで、大阪の開発本部に送り込まれました。東京からわざわざ特許の専門家の女性が来るというので、部門内で随分噂になりました。当時はトレンディドラマのピークは過ぎており、就職氷河期が始まっていましたが、何となくそういう男勝りのキャリアウーマンをみんな想像していたのですが、現れたのがとても可憐なお嬢様で、私はハートを撃ち抜かれました。まあ、彼女が赴任した部署は男性50人に対し女性1人の比率で、着任してすぐ、「本当に仕事か」と思うくらい彼女の所には野郎どもが集まりましたので、「ああ、これが高嶺の花」と思って遠くから見ていました。
A君とBさんは同時期の入社だったので、一緒に歓迎会もしました。なぜか他の部署からも歓迎会参加する人が押し寄せ大盛況でした。
数年後、私が東京転勤になって、ちょっと落ち着いた頃に、何とあのBさんからパーティーのお誘いがありました。A君もBさんも東京勤務で、「大阪で知り合った人を中心にみんなで集まりましょう。」という誘い言葉にウキウキして参加しました。
A君はソフト開発で有名なF社にヘッドハンティングされており、自由ヶ丘の戸建て社宅に入っており、自宅でパーティーできる広さの家でした。「アメリカ人なら普通、これくらいの広さの家に住みます。」と、私に見せたかった模様。すいません、私のお目当てはBさんです。喜び勇んでA君の家に着いたら、まだ料理の影も形もなく、みんな揃ったら、これからスーパーに買い出しに行って、みんなで分担してカレーを作りましょうという会でした。男女六人ほどでみんな顔見知りでアットホームないい感じ。買い出しまでは私もグループに溶け込んで楽しく談笑していたのですが、さあ作るぞという段になって、全く役立たずであることを露呈してしまいました。ご飯炊くことも、野菜切ることも、サラダ作ることもできず、みんな台所で楽しそうにワイワイやっている中、一人ダイニングでポツンとしていました。きっとこれが後にちゃんと料理できる男になろうという強力なモチベーションになったのでしょうね。サラダに乗っけるトマト買い忘れたという声がしたので、「さっきのスーパー買いに行って来るよ。」と飛び出しました。
大急ぎでスーパーまで走って行ってトマト買ったはいいけど、帰り道がわからなくなってしまいました。当時は携帯もまだ普及しておらず、スマホは影も形もありませんでした。トマト持って会社の寮に帰り、部屋からお詫びの電話入れるしかないかとしょんぼりスーパーの駐車場の縁石に座っていたら、自転車に乗ったBさんの姿が。
思わず情け無い声で「Bさ〜ん」と救いを求める声を上げていました。料理が完成しても全く帰ってこない私を心配して探しに来てくれたそうです。
その後、パーティーは盛り上がっていたみたいですが、打ちひしがれていた私の記憶には全く残っておりません。大層ガッカリして会社の寮に戻ってきました。
それから5年ほどして、寿退社をする彼女が、別部署の私のところにも挨拶に来てくれました。「わざわざ?」と思いながら挨拶したら、
「よんださん、覚えています。スーパーで道に迷って、『Bさ〜ん』って言った時のこと。」
とおっしゃったので、やはりあそこがターニングポイントだったのだなと思いました。当時は50連敗後の「もう一人で暮らして行くか」と思っていた頃なので、こうして黒歴史は紡がれて行くと思いました。
さて、パーティーネタ、もう一本あります。
1998年6月20日、フランスワールドカップ第二戦日本対クロアチア。この試合をみんなで集まって見ようぜと声をかけてくれたのは、高校同期のN君。長電話の君です。
自由ヶ丘カレーパーティーから2年ほど経っております。N君とは一ヶ月ほど前に、東京の会社のビルの前でばったり再会しており、なんと隣のビルで働いているという。これぞ腐れ縁。彼は金融会社に入って渡米し、もう会うことはないと思っていました。まあ、彼も私の地元志向はよく知っており、まさか東京勤務だとはと驚いていました。
そのN君のお誘いなので間違いなく参加するのですが、「どういう集まり?」と聞いたら、
「米国帰り金融系帰国子女仲間の集い」との回答。「すげー場違いな気がする。」と言ったのですが、サッカー見て盛り上がるだけだから大丈夫との言葉に半信半疑ながら参加しました。
当時タワマンという言葉があったか記憶にありませんが、高層マンションの最上階のすごく広い部屋に30人くらい集まってました。美男美女ばかりで、しかも金融専門用語を駆使したマウント合戦。理系ヲタク貧乏人は壁の花になっているしかありませんでした。N君と言えば‥
部屋の真ん中でなぜかブラジルユニに身を包み、サンバホイッスルとタンバリンを持ち込んで、異様に盛り上がっております。主催者らしき人が、壁を背にボーっと見ている私の袖を引いて、
「君、彼の友達でしょ。あれ、なんとかならないの?」
「友達呼ばわりは不本意ですが、注意しましょう。」
とN君を部屋の隅に引っ張って行って、
「その間違えたユニフォームと間違えたフェースペインティングは大目に見るが、サンバホイッスルと他の人の会話を邪魔する応援は止めてくれ。他の人からも文句が出てる」と告げました。
その後、彼はおとなしく私の後ろで試合見てました。試合そのものも盛り上がりに欠ける敗戦で、とっととお暇しました。
もう二度とパーティーには出ない。
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