小池龍之介の『「自分」から自由になる沈黙入門』を読みました。
僕は説教は嫌いなのですが、なんでわざわざ説教される本を読むかなぁと。
ただし、この小池龍之介の文体は軽妙洒脱です。仏教系の説教本というのが、あまり読者を想定せずに堅苦しく語っているのが多いのに対し、これは、若い女性をターゲットにライトな語り口をあえてとっている感じですね。
仏教では、自我を執着ととらえているそうですが、これも、「自分を大切に」「自分磨き」「自分らしさ」などの世界で息が詰まりそうになっている人に、自分という毒をもう少し薄めましょうよと呼びかけています。
それは正しい。うざいと思わせる人は自分語りが少し多過ぎるし、いやらしいと感じさせる話の底流には自分語りが潜んでいることを、かなり的確に指摘しています。
ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」を僕は好きなのですが、その序盤でシッダールタは自己を捨てるのに成功したように思えます。ところが、その後の彼の遍歴が非常に面白い。
ブログは自分語りの最たるものと思います。大抵のブログはうっとおしいですが、時折非常に面白いのがある。
まさしく、自分という毒とどう付き合うかという話だと思いました。
そして、僕は自分が苦しんでも、人に嫌われても、自分という毒とまだまだ戯れたいと、この本を読んでますますそう思いました。
「何で周囲は私のことを理解してくれないの?」「こんな当たり前のことを世間はどうしてわからないの?」と苛立っている人は一度この本を読んでみたほうがいいかもしれません。
自分という毒に気が付くいい機会となるでしょうから。
後半の禅の心得は、僕が不眠の治療のため、クリニックで教わった技法とそっくりでした。
そして、僕が不眠になったのは会社のせいと思っていましたが、この本を読むと、自分の毒にまみれていたのだなぁとちょっと驚きました。
もちろん、みんなが聖人になってしまって、静かな微笑みを浮かべている世界なんて、絶対に来ないし、そういう世界を僕は目指そうとも思わないので、この著者とは袂をわかつしかないのですが、時折こういう本を読んで、「シッダールタ」を何度も読み返していた頃の気持ちを取り戻すべきだと思いました。
ちなみに、宮崎勤の死刑記事に関していろいろと書いたのは、彼が弁護士に送った手紙に、それまでに見たアニメ番組のリストとか、監房の中で食べた食物のリストとかそういう内容のものが多かったということにインスパイアされたからでした。
僕はブログを書くときに、同じテーマで他の人はどう書いているのだろうということが気になって、テーマをキーワードにして、いくつかのブログを覗くのですが、その時に、単純に買った本のリストとか、ネットで読んだニュースを丸々引用しているだけとか、そういうブログが結構あって、ブログで自分語りをしないってなぜ?という根本的な疑問を持っていたのです。
宮崎勤の場合は、単に自分の欲望を客体化させて、それを第三者の視点から文章化する能力がないのかなと勝手に推測しますが、「自分」のブログで、それに言及しているのに、それと自分の関わりを全く書かないというのが、何が楽しいのかよくわからないです。
僕は毒と承知でもう少し自分語りを続けるし、他の人の面白い自分語りを聞いてみたいです。
僕は説教は嫌いなのですが、なんでわざわざ説教される本を読むかなぁと。
ただし、この小池龍之介の文体は軽妙洒脱です。仏教系の説教本というのが、あまり読者を想定せずに堅苦しく語っているのが多いのに対し、これは、若い女性をターゲットにライトな語り口をあえてとっている感じですね。
仏教では、自我を執着ととらえているそうですが、これも、「自分を大切に」「自分磨き」「自分らしさ」などの世界で息が詰まりそうになっている人に、自分という毒をもう少し薄めましょうよと呼びかけています。
それは正しい。うざいと思わせる人は自分語りが少し多過ぎるし、いやらしいと感じさせる話の底流には自分語りが潜んでいることを、かなり的確に指摘しています。
ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」を僕は好きなのですが、その序盤でシッダールタは自己を捨てるのに成功したように思えます。ところが、その後の彼の遍歴が非常に面白い。
ブログは自分語りの最たるものと思います。大抵のブログはうっとおしいですが、時折非常に面白いのがある。
まさしく、自分という毒とどう付き合うかという話だと思いました。
そして、僕は自分が苦しんでも、人に嫌われても、自分という毒とまだまだ戯れたいと、この本を読んでますますそう思いました。
「何で周囲は私のことを理解してくれないの?」「こんな当たり前のことを世間はどうしてわからないの?」と苛立っている人は一度この本を読んでみたほうがいいかもしれません。
自分という毒に気が付くいい機会となるでしょうから。
後半の禅の心得は、僕が不眠の治療のため、クリニックで教わった技法とそっくりでした。
そして、僕が不眠になったのは会社のせいと思っていましたが、この本を読むと、自分の毒にまみれていたのだなぁとちょっと驚きました。
もちろん、みんなが聖人になってしまって、静かな微笑みを浮かべている世界なんて、絶対に来ないし、そういう世界を僕は目指そうとも思わないので、この著者とは袂をわかつしかないのですが、時折こういう本を読んで、「シッダールタ」を何度も読み返していた頃の気持ちを取り戻すべきだと思いました。
ちなみに、宮崎勤の死刑記事に関していろいろと書いたのは、彼が弁護士に送った手紙に、それまでに見たアニメ番組のリストとか、監房の中で食べた食物のリストとかそういう内容のものが多かったということにインスパイアされたからでした。
僕はブログを書くときに、同じテーマで他の人はどう書いているのだろうということが気になって、テーマをキーワードにして、いくつかのブログを覗くのですが、その時に、単純に買った本のリストとか、ネットで読んだニュースを丸々引用しているだけとか、そういうブログが結構あって、ブログで自分語りをしないってなぜ?という根本的な疑問を持っていたのです。
宮崎勤の場合は、単に自分の欲望を客体化させて、それを第三者の視点から文章化する能力がないのかなと勝手に推測しますが、「自分」のブログで、それに言及しているのに、それと自分の関わりを全く書かないというのが、何が楽しいのかよくわからないです。
僕は毒と承知でもう少し自分語りを続けるし、他の人の面白い自分語りを聞いてみたいです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます