そもそも、生まれついての運動音痴で、スポーツは全部嫌いだった。
人と争うのも協力するのも嫌い、コツコツ努力するのも咄嗟のアドリブで何かするのも嫌い。
だから好きなスポーツなどあるわけないと思っていた。大学の研究室で何故か、学内のソフトボール大会やマラソン大会にエントリーし、ガチで体育会系の団体とも争っていたが、研究室内の選手選抜でとっとと落選し、大会当日は応援要員としての参加となった時は寧ろホッとしたくらいである。
ただ、夏休みに体力鍛錬のために研究室メンバーみんなで学内プールで昼休みに泳いでいた時に、えらく時間はかかったものの、昼休み時間内に一キロ泳いだ時は先輩方に「おっ!」と言われた。それ以上にどのスポーツでも辛かったのに水泳だけは辛くなかったので驚いた。それからは自ら研究室メンバー全員のプールチケット取りを買って出て、夏休みの間、毎朝大学の総務窓口に並びに行っていたくらいである。
普通、夏休みの研究室通いは辛いものであるが、プールが楽しみで、毎日いそいそと大学に出て行った。
会社勤めになってからも、民間のプールを探して夏の間は通うようにしていたが、東京に引っ越して一人暮らしをするようになってからは、プールに行かなくなってしまった。
そしてあっという間に20年が経ち、気がつくと、メタボで成人病リスクのあるおっさんになっていた。
高血圧で通い始めた病院の栄養指導で勧められて、恐る恐るジムに通い始めたのが、10年ほど前。最初は非常におっかなビックリであったが、トレーナーの人にメニューを組み立ててもらいやり始めたら、予想外に楽しい。
誰かと争うわけでも協力するわけでもなく、まるで自分の肉体と会話するように黙々と、決まった筋肉に決まった時間、回数、決まった負荷をかけるだけの作業なのだが、ヘッドホンで音楽を聴きながら、黙ってルーチン作業をするだけのこれがなぜ楽しいのか。
最初はうちの奥さんも一緒に来ていたのだが、妊娠が判明した時点でジムを退会し、全く孤独な作業となってしまった。また、ジム後は疲労困憊し家事も辛くなるのに、中毒のように通い続けた。
安全であることとまるで禅の修行のような無心の時間が気に入ったのだろう。
そして不思議なことに自宅では怠けて全く運動しないのに、ジムに来たら、真面目に黙々と訓練するのである。
残念なことにコロナリスクでジム辞めてしまっているが、早くワクチン打って、復帰したいと考えている自分がいる。
いやもう、体重もめっきり増えたし、すぐにあちこち筋肉痛になるし、腰痛、膝痛も再発しつつあり、必要な作業となってしまっているのであるが、そういう実利面を横に避けてもジム好きである。
昔、飲み屋のマスターに、「ランニングマシン乗って、景色も流れないのに走っている人の気持ち分かりませんわ」と言われたが、狭く危険な道を走るより、自分の体調にずっと集中して走れるランニングマシンのほうが圧倒的に好きである。
その先にどこにもつながっていない禁欲的なこの単純作業が大好きなのである。
これについては知的怠慢であるとの謗りを甘んじて受けよう。そしていつか復活させようと思っているのである。
おせっかいでごめんさなさい。