前の記事で、武田鉄矢の話が長いと文句を言いましたが、身近には話の長い人がいっぱいいるので。
まず真っ先に思い付くのが私の母です。
小さい頃から、客商売の実家で、夕飯時にお客さんが来ると、もうほぼ完成している鍋の火を止めて、店に出るのですが、そのまま1時間お預けを食らうことはザラで、祖母と父と私の三人でお客さんが帰るのを待ち続けたものです。
一回父が食べちゃえとご飯よそってくれたことがあったのですが、「人が仕事している裏で何してるのよ!」と母が激怒。それからはいくらご飯が冷めても、遅くなっても三人で待機でした。まだ子供だった私はともかく、自分たちでも食事の準備ができる父と祖母がどんな気持ちで待っていたのだろうと今でも想像します。当時は家族揃って食事をすることが、今以上に大切だったのでしょうね。
ただ、今実家に帰っても、食事の準備が出来てから、まずは仏壇にお供えして、かつて飼ってたペットたちにお供えして、一通りお経を上げてから、食事が始まりますので、「出来たよ」って言われてから実際に食べ始めるまでに15分はかかっている気がします。
だからうちの奥さんの実家にお邪魔した時に、料理が完成する前にみんなバラバラに酒と肴を持ってきてめいめいに食べ始めたのには驚きました。
私の家でも準備出来次第バラバラに食べ始めます。特にパスタやラーメンの時は、料理が出ているのに食べ始めないと逆に麺が延びると怒られます。いい家です。
あ、話が長い話でした。
母を非難するのは容易なのですが、このブログから容易に推測されるように私も話長いです。
中学までは自覚なかったのですが、高校の友人で話の長いヤツがおり、一時間の長電話をやっては母に怒られておりました。実家の電話は店の電話でもあるので、客からの電話を逃すから手短に切れと言われていましたが、何故か毎回1時間越えてしまうという。その時は相手が悪いと思っていましたが、うちの奥さんと付き合いだしてからいくらでも話すことがあり、自分は割と長話するし、楽しいと思いました。
ただ、その頃から今でも時々うちの奥さんにも怒られます。話長いって。
と、ここまで書いてわかりました。話長いって言われるのは単にTPOわきまえていない時だけですね。
話の面白い人で、話聞くつもりで臨んだ時は1時間の講演くらい問題なく聞けますし。
恋人同士ならいくら時間をかけて話してもずっと楽しいし。
歳を取って御大警報が出始めると相手の都合に無関係に自分の話ができるし、御大警報出るような人だと退屈な話でも文句言えないので、周囲は聞いてくれますので、逆に影で話長いって言われるんだ。
自分が話の長い人に痛い目にあった話をいくつか書こうとしたのですが、そういう力関係なのよということだと思います。
ちなみに昨日のブラタモリ岩石特集で、マニアのタモリとご専門の先生がたの会話が「ああ、これはチャートですね。」(あくまでも例です。)みたいな感じで専門用語一言で来歴から特性まで共有できるのに、視聴者も含めた周囲の人が置き去りにされて解説を求めるシーンが何度もありました。こういう長い話はとてもいいですね。歳を取っても人に話を聞いてもらえるように魅力的なコンテンツはしっかり備蓄しておこうと思いました。
そう言われてみると、乾杯前の偉い人の長話と朝礼での校長の挨拶が長い話の典型でした。おわり!
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