本書は上巻、下巻に分かれています。
上巻
下巻
上巻はスロースタートで、ゆっくりと読めましたが、後半に入って、主人公が臨死体験の意味を突き止めるあたりから、一気に読まざるを得ない状況に陥ってしまいました。届かなかったメッセージとその意味を解き明かすミステリー部が、下巻の後半から始まるんだもん。おそらくインフルエンザになりかけで、ふらふらする身体に鞭打って最後まで読まされてしまいましたとも(詳細はこちら)。非常に面白い小説であることは確かです。
と前振りで誉めておくというのは、悪口を言いたいからなのですね。
コニー・ウィリス=宮部みゆき説というのがあって(例えばこちら)、宮部ミステリーの魅力は、謎かけそのものの魅力よりも、周辺の人達の人間ドラマなのですね。謎かけ自体の当たり外れというのがあっても、そういうのと無関係に最後まで読まされてしまうという、エンターテインメントの本道を外さない魅力が、宮部にはあります。
コニー・ウィリスは、ミステリーじゃなく、SFでこれをやるんですね。で、「航路」のSOW(センス・オフ・ワンダー)度は、極めて低いです。「犬は勘定に入れません」のタイムパラドックス問題に対する解答は、とてもSOWに満ち溢れていたのですが、「航路」のほうは、ネタがあまりにも単純です。臨死体験については、誤解したい人がいっぱいいて、みんなで誤解したがっているのですが、それについて、すっぱり科学的に切ったというところがSOW だと言いたいのでしょうが、この臨死体験に対する解釈自体は、まあ、当たり前じゃんと僕は思いました。
何で、みんな、この当たり前な結論に達する前に、こんなに遠回りしたのでしょうね。
というわけで、SFとしては詰まらない作品だと思いますが、宮部みゆきが、犯人がわかっていても、最後まで読んでしまうように、これもドラマチックな展開で、読まされてしまいます。
前半は、臨死体験者へのインタビューで、自分の考えている天国の門としてのイメージを作り上げようと、わざとそういうイメージにガイドして、それで自分の主張を裏打ちしようというモーリス・マンドレイクと、正しく臨死体験の意味を突き止めようとする女医で主人公のジョアンナ・ランダーの争いから始まります。ただし、マンドレイクは主人公の上司なので、正面突破の争いができないところが厳しいです。結局、ジョアンナは、マンドレイクに臨死体験患者が「汚染」される前にヒアリングを行うということと、マンドレイクとの対面を避けて自分の研究を続けるというスタイルで対抗します。これは、「犬は勘定に入れません」のレディ・シュラプネルとネッド・ヘンリーの関係を彷彿とさせます。
そして、臨死体験を脳内で安全に発生できるメカニズムを突き止めたというリチャード・ライト(ドクター・ライトというのは、「理想の恋人=ミスターライト」の医者版とかいう意味があるそうですよ)の提案で共同研究が始まりますが、この研究を潰したいマンドレイクがスパイ被験者を送り込んだり、宗教的な意味を臨死体験に付与したい宗教関係者など、不適切な被験者を見破るための戦いがあり、やがて、研究の完遂のためには、ジョアンナ・ランダー本人が被験者となるしかないという事態を迎えます。
彼女が体験した臨死体験は、全く予想外のものであり、過去の臨死体験から得たフィールドデータと合わせて、意外な結論に達します。
上巻の魅力は、三人のこだわりだと断じてしまいましょう。
三人とは、
一人目:臨死体験被験者として応募しながら、真珠湾攻撃の体験談での矛盾がばれ、被験者からは失格してしまうウォジャコフスキーじいさん
二人目:何度も臨死体験を繰り返しながら、辛うじて生きながらえている少女メイジー・ネリス
三人目:主人公の女医 ジョアンナ・ランダー
ウォジャコフスキーじいさんは極めて饒舌に自身の軍隊体験を語ります。中でもお気に入りは、真珠湾攻撃でのジャップの奇襲と、そこから米海軍が如何に劇的に復活したかという話。
ただし、ウォジャコフスキーじいさんの話をよく聞いていると、彼は真珠湾攻撃のときに、同時に三箇所にいる必要があり、そこから彼の作話であることがばれてしまいます。
臨死体験の信頼性を高めるために、無意識に作話する患者は被験者としては失格となります。
日本人にとって、真珠湾の奇襲から始まり、東京大空襲、原爆、無条件降伏と続く第二次大戦の歴史は、屈辱の歴史であり、なんでここで真珠湾!?という痛さを感じます。
一方、メイジー・ネリスは、カタストロフィーおたくです。ヒンデンブルグ号事件やセントヘレンズ火山の噴火など、歴史的な大災害について、極めて熱心に調べます。なかでも、そういう大災害の中で、身元不明のまま亡くなった子供やペットの話には、強く執着します。
おそらく、彼女自身が何度も死と向かい合っているのに、彼女の母親が彼女が瀕死であるという事実から目をそらし続けることに強い影響を受けているものと思われます。
そして、ジョアンナの臨死体験なぜかタイタニックを舞台にしているという謎。
彼女が訪れているのは、本当のタイタニックなのか、それとも彼女が作った虚像なのか。
彼女が臨死体験を重ねるたびに、彼女の体験しているタイタニックと、歴史的事実としてのタイタニックがどこまで一致しているのか、彼女がタイタニックに対する余計な偏見を得ないようにしながらも、歴史的事実を確認しないといけないという、アンビバレントな状況に苦しみます。
三つの事件について、歴史的な事実と、人々の幻想について、詳細な確認作業が行われます。これは、臨死体験が、結局誤ったガイドによって、過去に何度も語られている宗教的虚像へと結び付けられてしまうように、災害についても、物語作者達が、わかりやすい虚像へと持って行ってしまうように、人々がこうあれかしと思うことと、正しい事実を峻別することが、「科学的」に必要であるからです。事実と、願望あるいは幻想を峻別する作業は、実際に現場に出向けない安楽椅子探偵モノのような、ミステリーの醍醐味があります。
下巻は.....
どう紹介してもネタバレになるので、自分で読んでくださいというしかありません。
最近、うちの奥さんから借りた「ほしのこえ」というコミックがあるのですが、構造的にはあれに似ています。
コミュニケーションの困難、届かなかったメッセージという話です。
とても切ないです。
「ほしのこえ」についての、うちの奥さんのレビューはこちら
上巻
下巻
上巻はスロースタートで、ゆっくりと読めましたが、後半に入って、主人公が臨死体験の意味を突き止めるあたりから、一気に読まざるを得ない状況に陥ってしまいました。届かなかったメッセージとその意味を解き明かすミステリー部が、下巻の後半から始まるんだもん。おそらくインフルエンザになりかけで、ふらふらする身体に鞭打って最後まで読まされてしまいましたとも(詳細はこちら)。非常に面白い小説であることは確かです。
と前振りで誉めておくというのは、悪口を言いたいからなのですね。
コニー・ウィリス=宮部みゆき説というのがあって(例えばこちら)、宮部ミステリーの魅力は、謎かけそのものの魅力よりも、周辺の人達の人間ドラマなのですね。謎かけ自体の当たり外れというのがあっても、そういうのと無関係に最後まで読まされてしまうという、エンターテインメントの本道を外さない魅力が、宮部にはあります。
コニー・ウィリスは、ミステリーじゃなく、SFでこれをやるんですね。で、「航路」のSOW(センス・オフ・ワンダー)度は、極めて低いです。「犬は勘定に入れません」のタイムパラドックス問題に対する解答は、とてもSOWに満ち溢れていたのですが、「航路」のほうは、ネタがあまりにも単純です。臨死体験については、誤解したい人がいっぱいいて、みんなで誤解したがっているのですが、それについて、すっぱり科学的に切ったというところがSOW だと言いたいのでしょうが、この臨死体験に対する解釈自体は、まあ、当たり前じゃんと僕は思いました。
何で、みんな、この当たり前な結論に達する前に、こんなに遠回りしたのでしょうね。
というわけで、SFとしては詰まらない作品だと思いますが、宮部みゆきが、犯人がわかっていても、最後まで読んでしまうように、これもドラマチックな展開で、読まされてしまいます。
前半は、臨死体験者へのインタビューで、自分の考えている天国の門としてのイメージを作り上げようと、わざとそういうイメージにガイドして、それで自分の主張を裏打ちしようというモーリス・マンドレイクと、正しく臨死体験の意味を突き止めようとする女医で主人公のジョアンナ・ランダーの争いから始まります。ただし、マンドレイクは主人公の上司なので、正面突破の争いができないところが厳しいです。結局、ジョアンナは、マンドレイクに臨死体験患者が「汚染」される前にヒアリングを行うということと、マンドレイクとの対面を避けて自分の研究を続けるというスタイルで対抗します。これは、「犬は勘定に入れません」のレディ・シュラプネルとネッド・ヘンリーの関係を彷彿とさせます。
そして、臨死体験を脳内で安全に発生できるメカニズムを突き止めたというリチャード・ライト(ドクター・ライトというのは、「理想の恋人=ミスターライト」の医者版とかいう意味があるそうですよ)の提案で共同研究が始まりますが、この研究を潰したいマンドレイクがスパイ被験者を送り込んだり、宗教的な意味を臨死体験に付与したい宗教関係者など、不適切な被験者を見破るための戦いがあり、やがて、研究の完遂のためには、ジョアンナ・ランダー本人が被験者となるしかないという事態を迎えます。
彼女が体験した臨死体験は、全く予想外のものであり、過去の臨死体験から得たフィールドデータと合わせて、意外な結論に達します。
上巻の魅力は、三人のこだわりだと断じてしまいましょう。
三人とは、
一人目:臨死体験被験者として応募しながら、真珠湾攻撃の体験談での矛盾がばれ、被験者からは失格してしまうウォジャコフスキーじいさん
二人目:何度も臨死体験を繰り返しながら、辛うじて生きながらえている少女メイジー・ネリス
三人目:主人公の女医 ジョアンナ・ランダー
ウォジャコフスキーじいさんは極めて饒舌に自身の軍隊体験を語ります。中でもお気に入りは、真珠湾攻撃でのジャップの奇襲と、そこから米海軍が如何に劇的に復活したかという話。
ただし、ウォジャコフスキーじいさんの話をよく聞いていると、彼は真珠湾攻撃のときに、同時に三箇所にいる必要があり、そこから彼の作話であることがばれてしまいます。
臨死体験の信頼性を高めるために、無意識に作話する患者は被験者としては失格となります。
日本人にとって、真珠湾の奇襲から始まり、東京大空襲、原爆、無条件降伏と続く第二次大戦の歴史は、屈辱の歴史であり、なんでここで真珠湾!?という痛さを感じます。
一方、メイジー・ネリスは、カタストロフィーおたくです。ヒンデンブルグ号事件やセントヘレンズ火山の噴火など、歴史的な大災害について、極めて熱心に調べます。なかでも、そういう大災害の中で、身元不明のまま亡くなった子供やペットの話には、強く執着します。
おそらく、彼女自身が何度も死と向かい合っているのに、彼女の母親が彼女が瀕死であるという事実から目をそらし続けることに強い影響を受けているものと思われます。
そして、ジョアンナの臨死体験なぜかタイタニックを舞台にしているという謎。
彼女が訪れているのは、本当のタイタニックなのか、それとも彼女が作った虚像なのか。
彼女が臨死体験を重ねるたびに、彼女の体験しているタイタニックと、歴史的事実としてのタイタニックがどこまで一致しているのか、彼女がタイタニックに対する余計な偏見を得ないようにしながらも、歴史的事実を確認しないといけないという、アンビバレントな状況に苦しみます。
三つの事件について、歴史的な事実と、人々の幻想について、詳細な確認作業が行われます。これは、臨死体験が、結局誤ったガイドによって、過去に何度も語られている宗教的虚像へと結び付けられてしまうように、災害についても、物語作者達が、わかりやすい虚像へと持って行ってしまうように、人々がこうあれかしと思うことと、正しい事実を峻別することが、「科学的」に必要であるからです。事実と、願望あるいは幻想を峻別する作業は、実際に現場に出向けない安楽椅子探偵モノのような、ミステリーの醍醐味があります。
下巻は.....
どう紹介してもネタバレになるので、自分で読んでくださいというしかありません。
最近、うちの奥さんから借りた「ほしのこえ」というコミックがあるのですが、構造的にはあれに似ています。
コミュニケーションの困難、届かなかったメッセージという話です。
とても切ないです。
「ほしのこえ」についての、うちの奥さんのレビューはこちら
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