奈良の実家にクーラーが来たのは、私が中学校の頃だった。
それまではクーラーはなく、夏休みの日中の一番暑い時期は、涼しい日陰の部屋で、昼寝をして、やり過ごした。
実家の化粧品屋も、そんなくそ暑い日中に出歩く人はなく、開店休業であった。お店の人達もみんな、店を開きっぱなしで、昼寝していた。そんな大らかな時代だったし、そうでもないとやっていけない暑さだった。日本の夏は。
私が中学校の時に、お店に初めて冷房が入った。私は自分の部屋があるにもかかわらず、夏の間はお店に入り浸って勉強していた。クーラーのおかげで勉強時間が伸び、成績アップしたかもしれない。
冷房目的でお店にいたいのだけど、お店でダラーっとしていると、冷房切られそうで、真面目に勉強している振りをしていた。そうしていると、閉店後も冷房を使わせてもらえた。
ちょっと怖かった話。ある日の深夜、いつも通り、お店の冷房は入れっぱなしで、自分の勉強しているエリアだけ電気をつけて、勉強していた。
すると、お店のシャッターをコツコツ叩く音が。こんな深夜にお客さん?と、一番小さなシャッターを開けて外を見たけど誰もいない。閉めて、元の場所に戻って勉強していると、またコツコツ。でも開けても誰もいない。三回目にコツコツ言った時は、両親を起こしに行こうかと思ったけど、冷静になって外に出て、観察した。すると、お店の屋根からぶら下がった宣伝用のオブジェが、風に吹かれて、店のシャッターにぶつかっていた。
幽霊の正体みたり、枯れ尾花。それから安心して勉強できた。
高校の頃にばあちゃんが亡くなって、その部屋を自分の部屋に貰い受けた。その時に、我が家の2台目のクーラーも付けて貰った。大学受験控えているからとのことで、貰えたのだが、両親に感謝である。普通、2台目は親の部屋だよなぁ。
その頃から夏はクーラーなしでは耐えられなくなった。私が大学生の時に母屋を建て替えたのだけど、そこで初めて全室冷暖房完備となった。
大学に通学していた頃、電車にはまだ冷房がついていないものがあった。朝のラッシュ時にそんな車両に当たると地獄である。中では扇風機が全力で回っていたが、冷房車両を一度味わうと元には戻れない。車両の屋根に付けられている機械の大きさを見て、冷房車かどうか判断した。
大学の教室も、会社も当たり前に冷房が付いていた。当時、まだ、小中学校の教室には冷房が普及しておらず、いくら夏休みがあるとはいえ、可哀想に思った。もう普及率100%達成したのかしら?
東京転勤になって過ごした会社の独身寮は、セントラルヒーティングで冷暖房完備であった。この頃、私の仕事は、土日出勤が非常に多く、平日によく振替休日を貰った。冷房掛けながら朝寝をたのしんでいたら、朝9時になるとセンターで冷房が止められた。すると急に気温が上がり始め、10時過ぎには耐えられない暑さになった。諦めてパジャマを着替え、映画館や本屋に涼みに行くのが、日課となった。おかげでこの5年間だけ、マイナー映画も含めて映画だけはやたら見た。ハズレも沢山あったけど、冷房と時間潰しが目的だったので、何でもよかった。
福住のアパートも深川のマンションも当たり前にクーラーがついていた。2000年以降、日本のマンションは冷房ないと生命の危機を感じる状況になっていた。
大阪野田のマンション。築20年で入居したのですが、室内機2台を一台の室外機で面倒見る不思議な機械だった。
そして我々が入居して5年目頃、室外機のベルトが切れて、全く冷風がでないトラブル発生。古い機種なので部品調達に二週間かかると言われて、大阪の猛暑の中、冷房無しの二週間を過ごした。まあ、地獄でした。近所のビジネスホテルに交代で泊まりに行って寝ようかなと思いました。
西九条に越して、各部屋にエアコンを入れ、室外機は全て独立にした。これで例えば不幸にして2台同時に故障しても、残り二部屋は冷房が使える。太陽電池も上げたので、夏の暑い日は三台同時に使ってもまだ余裕がある発電量になった。怖いのは停電だが、太陽が差している日中は、太陽電池の出力をエアコンに繋ぐことで、対応できるはず。
安心感は高まった。後は蓄電池を用意すれば夜間も安心なのですが、それはまだ導入検討中です。
それでは今日の曲へ。
YouTube、この辺の音源は豊富ですね。
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