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うつと自意識過剰

2007年09月14日 | ネット生活
先日、こんな記事を投稿して、中途半端な感じのまま、考えがまとまるまで、少し置いておこうと思っていました。

なぜ、この記事が中途半端なのかということをうつらうつらと考えていると、どうも、自意識過剰という言葉を、どういう意味で使っているかを明確にしていないところにあるような気がしてきました。

というわけで、ちょっと自意識過剰の定義を。

正確な表現を覚えていないのですが、俚言に「蟹は自分の甲羅の大きさにしか穴を掘れない」みたいなのがあったと思います。蟹が砂浜に穴を掘る場合、自分の足を使って掘るんで、当たり前ですが、蟹の掘った穴は、自分の甲羅の大きさになります。
こういう風に、人が世の中(社会?世間?)に与える影響範囲は、その人の器の大きさで大体決まっているはずなのですが、その自分の影響範囲を過剰に大きく考えることを、僕は、自意識過剰と考えています。
つまり、自分が砂浜に穴を掘ってしまったら、砂浜自体を破壊してしまうと考えてしまって、穴がほれなくなってしまった蟹のことを自意識過剰と呼びます。

うつになる原因はいろいろとあると思いますが、砂浜に穴がほれなくてうつになった蟹を治してあげるには
・ 自分のサイズでしか、穴を掘れないことを蟹に気付かせてあげること
・ だから、安心して穴を掘れって言ってあげること
の二つだと思います。

ただし、この議論には、大きく二つの落とし穴があるのですが、それは、ちょっと後で触れます。

「大きく振りかぶって」というメンタルヘルスに重点を置いた、高校野球漫画があります。この漫画の主人公にしてエースの三橋君は、中学時代の野球部活動で仲間に受け入れられなかったことがきっかけで、エースとしての自信を喪失したまま、高校の新設の野球部にエースとして迎え入れられます。その漫画の8巻が非常に感動的なのですが、その中で、
夏の地方大会の初戦で、前年の甲子園出場校とぶつかり、強力打線を相手に4失点に抑える力投を見せます。ところが、本人の評価では、もう投げる力もなくなって、相手を抑え切れなくて、4失点もしているのに、誰にもマウンドを譲らずに投げ続けた悪いヤツとなってしまっている。で、その自分のダメさを許せなくて、試合後、他のナインを避けまくるのですが、力投を称えたいナインが、みんなでエースの奮闘を称えた試合後の反省ノートを持って、三橋君のうちに来るというシーンがあります。
三橋君は、そのノートを強引に渡されて読んでいるうちに、中学時代のライバルに「お前がやっているのは普通の野球じゃない。ここで野球をやめてしまうと、普通の野球を知らずに終わるぞ。」と言われた意味を初めて理解して泣いてしまいます。
「俺達はヒーローじゃないんだ。普通の人が普通に野球をやっているんだ。」

三橋君は、僕の目から見ると、典型的な自意識過剰&うつ気質の人で、蟹の甲羅の比喩でうつが癒されるのが、上のシーンだと読みました。

という引用ばかりの記事になってしまいましたが、これで、僕にとっての自意識過剰の位置づけと、うつと自意識過剰がかなり近い位置にあることがある程度説明できたのではないかと自惚れております。

さて、最後に、蟹の甲羅の比喩の中の落とし穴を二点指摘しておきます。
一つ目は、蟹の甲羅の大きさは、客観的に測定できますが、個人の社会的影響の大きさは測定できません。というか、本人の意識によって、その影響度は変わってきます。
具体的な例として、僕が咄嗟に思いつくのが、北朝鮮の拉致被害者を救う会の人々。彼らは、普通の市井の人だったのが、拉致という事件をきっかけに団結し、日本の外交に大きな影響を与えるほどの力を持ちました。
だから、傍から見て自意識過剰に見えても、自分の影響力を信じて正しく努力すれば、本当にその大きさになってしまうことがあるのです。
だから、やっぱり、本当に安心して穴掘っていいの?
というのが、一つ目。

二つ目は、穴の大きさを懼れて鬱になるのではなく、穴の小ささを懼れて鬱になるケースもあるということです。自分では、高校でもエースを張れると信じているのですが、それ自体が自意識過剰で、実際にはピッチングもろくにできないという可能性もあるのです。三橋君は極めて幸運にも、逆のケースでしたが、彼が非常に恐れたように、中学では味方から「マウンドを降りろ!このクソピッチャー!」と罵られていたのですよね。
「大きく振りかぶって」は癒しの物語ですが、それは彼に実力があったから、ナインに認められて癒しになるという話です。
この構造に気が付いてしまうと、「ああ、やっぱり俺はダメなんだ、ウツダシノウ」となりかねないです。

という二つの落とし穴だけ指摘して終わると救いがないので、もう一言。

僕は最近ウツと付き合うには、ダメな自分を認めることと、ダメなりにそれでも何とかやっている自分をもっと誉めてあげることの二つが重要だと思っています。
自分という蟹の甲羅の大きさは、やっぱりどれくらいの大きさかわからないけど、自分の甲羅の大きさで掘るしかなくて、その甲羅の大きさを気にし過ぎず、僕の甲羅の大きさについてとやかく言う人達に振り回されず、今日も自分の甲羅の大きさで掘っていることに満足して生きて行きたいと、こういう感じです。
うつも、まだ治っていませんが。


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