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「『噂の眞相』25年戦記」 岡留安則

2005年02月13日 | 読書
集英社新書です。
僕は、「噂の真相」(旧字だと入力が大変&表示されない端末があるので、あえて当用漢字にします)は、いわゆるイエロージャーナリズムだと思っていました。
「週刊現代」とか「週刊ポスト」とかと同様の。
さきほど、インターネットでいろいろと検索してみたのですが、イエロージャーナリズムの線引きは結構難しいようですね。「週刊現代」や「週刊ポスト」は大手出版社が発行しているので、イエロージャーナリズムではないという線引きもあるようで。

さて、僕がよく買っている「サイゾー」はイエロージャーナリズムに属するのでしょうか?
こちらも扇情的であることは明らかだと思うのですが、ただ、大手新聞が報道しないことに対して、どこまで真実であるかはわからないものの、僕の許容範囲内でのある種の批判精神を持って報道していることが感じられます。

「週刊現代」と「週刊ポスト」は、読者の嫉妬(「あいつらこんなにうまい汁を吸いやがって」)をうまく煽って売り上げを伸ばそうという魂胆を感じるので、それはもちろん僕の偏見である可能性もあると思いますが、いずれにしろその二誌は僕の許容範囲外にある雑誌です。

で、その「サイゾー」で「噂の真相」の追悼特集の記事をやっていて、大いに認識を改めました。
いや、改めてももう休刊しちゃったんですけどね。
ちなみに、僕が「サイゾー」を評価するのは、「SPA」の記事の踏み込み不足に対する不満の裏返しという一面もあるのですが、こういうのってある意味センスの問題だと思います。
特定の記事がどうこうというよりは、ある程度のボリュームの記事を読んだ上で、「サイゾー」のほうが満足度が圧倒的に高いのですから。

で、その「サイゾー」の評価する「噂の真相」の編集長を25年にわたって勤めてきた岡留氏が、その歴史を振り返ったのが、本書です。

「眼高手低」って、理想は高いけど、やっていることは大したことないよという意味だと思っていたのですが、実は創作活動について、批評能力は高いが創造力が低い人について、使うのですね。
こちらもさっきインターネットで調べて知りました。
で、僕が勘違いしていた「眼高手低」の「眼高」のほうがこの本には書かれています。記事を載せるかどうかの判断基準や、載せた記事に対する抗議への対応方法などは、記事自体を読むより、その雑誌の思想について、よく語っているなと思いました。

残念ながら「手低」のほうの記事(あ、これじゃあ、大した記事じゃないって言ってますね、そんな意図はあまりないんですけど。つーか、読んでないし)は、全然読んでいないので、元ネタはよくわかりません。三浦和義報道とか、田中真紀子長女のプライバシー侵害事件とか、筒井康隆の断筆騒動とか、それぞれに面白そうな懐かしい事件が取り上げられていて、これらは「ポスト」も「現代」も取り上げていると思うので、それらと読み比べてみたい気がしました。
ただ、イエロージャーナリズムかどうかはともかく、全てスキャンダルであることは確かで、こういう他人のどろどろを読み続けるのって、気持ち悪くなってきて実はあまり好きじゃないです。

そういう意味で、この本が「眼高」に徹しているので、とても読みやすかったです。
あと、日本の政治家の失言騒動が、国内のジャーナリズムでなく、海外で先に騒がれるという構図はもう何度も見ているのですが、こういう報道体制に対する危機感というのも強く感じました。

まあ、もう引退した先生が高い所から過去の事例の中の自分の理想について語っているだけという意地悪な見方もできる本ですが、ジャーナリズムについては、そういう本が逆にこの本くらいしかないというのが、ちょっと寂しいですね。

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2 コメント

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こんにちは~! (doigaki2046)
2005-02-13 11:42:26
ご訪問ありがとうございます!

嫉妬を煽る・・という感じ、本当にそうですね。週刊現代は特にそう。憎悪の世界観になってしまっている感じがしますね、週刊誌全般が

。読んでいて、気分が悪くなります。
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ようこそ! (h_tutiya)
2005-02-13 22:09:51
ようこそ、doigaki さん。

最近は、民放のテレビ番組でさえ、こういうトーンを感じることがあります。

自分より優位な立場にあるものを、正義の名の下に貶めようとする心根について、恥ずかしいと思う気持ちを持ってもらいたいものです。

それを故意にやっているのは、もっと悪質ですね。
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