よんたまな日々

サッカーとゲームと本とおいしい食べ物

たこ焼き

2021年05月31日 | 日々徒然
小さい頃、たこ焼きというと、お祭りの縁日で買って来て食べるものだった。
特別の日感がありました。

とはいえ、食べたいと思ったら、国道沿いの路駐できるところに、キッチンカー?が出ていて、割といつでも買って来て食べることができた。

東京転勤になって、ふと気付いたのが、焼きそば屋、たこ焼き屋がない。
相川七瀬がDJやっているラジオ番組で東京在住の大阪人が、「突然、ソース味、食べたくなることありませんか?」って投書していましたが、東京あるあるみたいです。
結局、お好み焼き屋は渋谷道玄坂下にあった広島焼きの店で飢えを鎮めましたが、たこ焼きは上野の銀だこしか見つけられませんでした。当時はまだ食べログとか、グルメサイト知らなかったので、今ならもう少し状況改善しているかも知れません。

更に転勤があり、青山のオシャレな場所にあるちょっとバブリーな会社に出向になりました。親会社の人事権もっている上長が年二回、大阪から面談に来るのですが、ある日の面談後、「お昼行こ」って誘われました。意外とランチの店なく、キッチンカーでお弁当買って食べていたのですが、その日は昼時を過ぎていて、周囲にキッチンカーもいない。上長に「すいません、ランチの当てありません。」と言ったら、「こんな大都会やから、なんかあるやろ。」と先に立って歩きます。
「ほら、ちょうどええ。」と上長が入った店が、自分で焼くたこ焼き屋でした。すごくオシャレな店構えと、とんでもない値段に店の前で目を白黒させていると、「奢ったるから、気にせず入れ。」と頼もしい言葉。「でも、たこ焼き自分で焼いたことない。」と思いながら店に入り、席に着いた。鉄板に火を入れ、材料を並べ出す店員に上長は
「これ、自分で焼かんとあかんの?」
「そういう店ですから。」
「なぁ、高い金払ってんねんし、焼いてくれてもええんちゃう?」
関西弁の馴れ馴れしい言葉にちょっとビビったアルバイトっぽい店員が奥に入ると、店長が代わりに出てきて、緊張気味に
「焼かせていただきます。」
とてもおいしいたこ焼きでしたが、次回、この上長が来る前に、関西うどんか町中華の安くてうまい店を押さえておこうと真剣に思いました。

その後、実はその出向先で才色兼備、バリキャリ、ちょっぴり男前の奥さんと出会い、結婚するのですが、それはまた別のお話。

またまたの転勤で、その奥さんと大阪は野田に移り住むのですが、ここがたこ焼き激戦地でした。駅前だけで四軒のたこ焼き屋があって、銀だこで500円クラスのたこ焼きが200円前後。しかも各店、特徴のあるラインアップでうまい。駅前の赤提灯で飲む生ビールの安さとともに、うちの奥さんのハートを鷲掴みにしてくれました。
食い倒れの町、グッドジョブ👍です。

うちの奥さんが東京の実家にたこ焼きうまいメールを写真入りで何度も送った結果、ある年の里帰りで、義父がたこ焼きセットを準備して待っていました。
義理実家の近所のスーパーに買い出しに行き、義母に「たこ焼き粉とたこ焼きソースそれに蛸くらいあればいいかしら。」との相談に、
「蒟蒻、揚げ玉、青のり、紅生姜、鰹節、小口ネギも買いましょう。」と調子に乗ってしゃべりました。「関西の人がいると心強いわ。」
家に戻って、たこ焼き器に火を入れ、材料並べて、さあどうぞと言われた時に告白しました。
「すいません、焼いたことないです。」
「えーっ!」と驚く義父母に、家内が
「父さん、母さん、大阪人がみんなたこ焼き器持ってるって嘘やから。買って来た方が安くてうまいたこ焼き食べられるし、うちら、大阪人なって、まだ三ヶ月経ってないし。」
となぜか流暢な大阪弁で援護射撃くれました。
義父が「こんなの焼いちゃえば何とかなるものだよ。」と、鉄板にドバッと水溶きたこ焼き粉を注ぎます。タコと蒟蒻、揚げ玉を投入し、更にネギと紅生姜。しばらくすると外側が固まって来て、ひっくり返りそうに。義弟が千枚通しを器用に使って、クルクルと丸めて行きます。予想より簡単に焼き上がりました。食べてみると激うま。この後、5人で4周焼いて、ビールとちょっとしたおつまみで満腹になりました。
一人15個食べた勘定。
「たこ焼き、自分ちでできるね。」と奥さんと言い合っていました。

うちの父が、癌の末期で、最後かもと妹が孫を見せにやってきたとき、普段もう食べられなくなってきていた父が、お土産の豚平焼きペロリと平らげたという話を聞いて、実家でもタコパしようぜと持ち掛けたことがあります。豚平焼き食べられるなら、たこ焼きはまだ食べやすいし、家族揃って楽しめるし、最期の思い出作りにいい機会だと思ったのですが、
妹からは「たこ焼きうちで焼けるの?」
母からは「なんか大変そうやし、お父さんの体力も心配やから。」
と断られました。

奈良の実家のほうがタコパの習慣ないから、しゃあないか。
断られた後、
「もう危ないと聞いて戻ったけど、まだ大丈夫そうだから引き返すわ。」と、妹と甥っ子が東京に戻った翌日に体調が急変。救急車で病院に搬送されましたが、さらにその翌日天国に召されました。
タコパもできず、妹には気の毒なことに、蜻蛉返りしたものの、死に目には会えませんでした。

我が家にはその後使われないままのタコパセットが‥

という話なら綺麗に終わったのですが、変わり種明石焼きのテレビ番組を見た家内と先日、タコパに挑戦。娘もしっかり冷ませたフワトロたこ焼きを旨そうに食べました。めでたし、めでたし!



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