はーちゃんの気晴らし日記

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4年前のこと

2006年12月19日 | 義母のこと
ちょうど4年前の今頃のことです。

数日前から娘が体調が悪いと言っていたので、私の行きつけの病院へ娘を連れて行くことにしました。
お互いの仕事の帰りに待ち合わせをしました。
急に話が決まったので、義母にはそのことを話していませんでした。
病院へ寄るので、帰りが遅くなるという連絡をするつもりで家に電話しました。
でも、誰も出ません。
信号や踏切で停車するたびに電話してみましたが、誰もでません。
『お義母さんが家にいるはずなのにおかしいな。もしかしたら、私の帰りが遅いためハイジの散歩をしてくれているのかもしれない』と思っていました。

病院を終えて家に帰ると義母がソファにすわったまま頭痛を訴えていました。
夕方お風呂を掃除していたら、突然頭痛に襲われたと言います。
痛い、痛いと訴えるので、私が
「救急車を呼ぶ?」
と言うと、義母は頷きました。
119番に電話するつもりで受話器を取った瞬間、いろいろなことが頭をめぐりました。

”ここで救急車を呼べば、多分近所中の人が集まってくるだろう。大騒ぎになるのも困るな。それに、救急車の人が来たらクマをどうしよう?
相当吠えまくるだろうし、押さえているのも大変だ。”

義母を見ると、
”ただ頭が痛いというだけで、意識もしっかりしているし、自分で歩けるし、会話も普通にできる。救急車を呼ぶまでもないかもしれない。”

そう思って夜間休日診療の当番病院へ連れて行くことにしました。
義母は自分で病院へ行く支度をして、保険証やらお金やらを用意をし、着替えもしていました。
家を出ようとした途端、義母は吐き気を訴えてトイレに駆け込みました。
下痢もしていると言っていました。

娘に家を任せ、私は義母と二人で当番病院へ向かいました。
病院では、『一過性の高血圧症』と診断されました。
点滴をして、血圧を下げる処置をしてもらい、義母はだんだん落ち着いてきました。
主人にも連絡をしていたので、その間には主人も病院にやってきました。
看護士さんに少し休んでから帰るように言われ、私と主人で付き添っていました。

血圧がだいぶ元に戻って来たとき、義母は
「トイレに行きたい」
と言い出しました。
お腹が痛くてがまんできないと言います。
夜間のため、病院も看護士さんが少なく、あちこち飛び回っているような様子で、義母だけを看ていられないようでした。

トイレには、私が付いていきました。
用を済ませてトイレから出てきた途端、義母は倒れました。
義母は少し太り気味だったので、私一人ではとても抱えきれず、トイレから大声で主人を呼びました。

主人が飛んできて看護士さんも飛んできて、何とかベッドに運び込み、血圧を測ったところかなり上昇していました。

そこで、とりあえず、入院したほうがいいだろうという事になりました。
歩き回らないようにと、義母のベッドのそばには簡易トイレが置かれました。
翌日入院の準備をするということで、私は帰ろうとしました。
すると、義母が私を呼びました。

ベッドのそばに行くと、義母は、改まったように
「ありがとうネ」
と言ったのです。
なぜそんなことを今更言うのだろうと不思議に思いましたが、
「また明日の朝、来るね」
と言って、私は病院を出ました。
2~3日入院すれば、良くなるだろうと単純に考えていたのです。

翌朝、入院の準備をするために近くのスーパーに寄り、パジャマや洗面道具、食事用のお箸やスプーンを購入して病院へ向かいました。
ちょうど踏み切り待ちをしていたところに病院から電話がありました。
「容態が良くないからすぐに来てください」
ということでした。

すぐに主人に連絡を取り、病院に向かいました。
私が義母の病室に着いたときは、救急隊の人がベッドを囲み、義母はタンカに乗って別の病院へ転送されるところでした。
主人も来ていました。
その時
「検査の結果、くも膜下出血のため専門の病院へ移します」
と言われたのです。

移送された専門の病院で検査をすると、すぐに手術ということでした。
そのときも義母の意識はしっかりしていました。
手術室に向かうためエレベーターに乗り込むとき、また私を呼びました。

その日、予約していた美容院をキャンセルしたかどうかを気にしていたのです。
「大丈夫、ちゃんと電話しておいたから」
と言うと、安心したように頷いてエレベーターに乗り込みました。

それっきりでした。
手術後1ヶ月、義母は一度も意識が戻らないままこの世を去りました。

最初の休日担当の病院の処置に問題があったのではないか、という思いもあります。
私が自分で病院に運ぶのではなく、救急車を呼ぶべきだったのではないかと後悔の念にもかられました。
救急車で運んだ患者なら病院の処置の仕方も違ったのではないかとも思いました。
救急車なら別の病院へ運んでくれたかもしれないとも思いました。
私が救急車を呼ばなかったから、義母はあんな結果になってしまったのかもしれないとずいぶん落ち込みました。
それでも、最後の最後まで義母が私の名を呼んでくれたことが、私にとって唯一の救いでした。
そのことが、私の後悔の気持ちを少しだけ、楽にしてくれました。

今でも、あの時のことを思い出すと、
”義母が亡くなってしまったは、私の判断の間違いからかもしれない”
と後悔の念にかられることがあります。

救急車の乱用はいけませんが、それによって命が助かることもあると思うので、必要なときは救急車を呼ぶべきだなと思います。


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