はーちゃんの気晴らし日記

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義母の恋---その後

2007年03月01日 | 義母のこと
先生と別れて実家の茨城へ帰った義母は、ただただぼんやりと日々を送っていました。
傷心しきった義母を見かねた周りの人たちが、義母を結婚さようと話を進めました。

その相手が義父でした。
そのときの義母は、すべてがどう動いても良いという投げやりな気持ちでした。
それと同時に、当時の義父が東京の田園調布にかなり広い敷地を持っていたことも結婚を決めた理由の一つだったそうです。
以前、漫才で『田園調布に家が建つ!』というフレーズが流行りましたが、当時でも田園調布と言えば、かなりの高級地。
そこに広い敷地を持っているということから、
”この人と結婚すれば、この先もお金の苦労をしないで済むだろう”
と考えたそうです。

でも、成り行きで結婚したものの、自分の気持ちがどうしても義父に向くことはなく、日にちだけが経っていきました。
ぼんやり過ごす日々も変わりませんでした。
そして、義母はそのことにだんだん我慢できなくなりました。
義父に対しても申し訳ないと考えたようです。
そして、やはり自分の気持ちに忠実に生きようと思ったのです。
義父と別れることに決めました。
茨城へ帰って、一人で静かに暮らそうと思ったそうです。

でも、そう決心した時、義母のお腹の中に主人がいることがわかったのでした。
妊娠を知った義母はそこで、すべて考え方を変えたと言います。
お腹の子のために生きよう。
お腹の子のためにこの生活を大事にしようと思ったそうです。

義父は働き者で、優しい人でした。
口数も少なく、ただ、ただ、まじめに働く人でした。
そして、日々の生活を義母の好きなようにさせてくれていたようです。
そうこうしているうちに義妹が生まれ、親子四人、それなりに落ち着いた生活が続きました。

ところが、人の良い義父はある友人に騙されて、『豪邸』と言われた土地も家もすべてなくしまったのです。
それから、一家は、あちこち点々とする生活を送りました。
義母もかなり苦労したようです。
「一生お金に困らない生活ができると思ってお父さんと結婚したのに、こんなことになっちゃった」
と義母は言っていました。

義母から聞いた話はこんなところです。
義父は、私が主人と結婚して2年足らずで亡くなりました。
当時は同居していたわけでもなく、あまり接触することがないまま義父は亡くなってしまったので、本当のところどんな人だったのかあまり印象がありません。

義母が亡くなるちょっと前の八月のある日、義母の部屋でハイジが異常に吠えました。
普段ほとんど吠えることのないハイジなのに、誰もいない義母の部屋で、何かに向かって吠えているのです。
その吠え方が異常でした。
私達には見えない何かが、ハイジには見えているようでした。
私は、
「お盆だから、お義父さんでも帰ってきたかなぁ~」
と冗談交じりに言いました。
すると、義母は、
「先生が来たのかもしれない。先生もそろそろ年だから、もしかしたら、先生が亡くなったのかもしれない。それで、最後に私に『さようなら』を言いに来たのかもしれない。」
と言いました。

それから、しばらくして義母は亡くなりました。
今、義母のことを思い出し、
「もしかしたらあの時ハイジが吠えた相手は、義母が言うように先生だったのかもしれない。先生が義母を迎えに来てしまったのかもしれない。」
と思うことがあります。
そして、義母にとって、やはり先生が生涯忘れることができなかった”たった一人の人”だったんだなと思います。

義父のことをあまり知らない私ですが、そのことがかえって良かったような気がしています。

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