1945年8月15日(水)は、盛夏真っ只中の好天気でした。
6日に広島、9日に長崎に新型爆弾(原子爆弾)の投下や、同盟国イタリアの降伏も伝えられ正午の玉音放送による戦争終結は、子供(小3)心にも当然に感じられた。
各家庭にあった槍や日本刀、鍋釜に至るまで、献納を強いられ、本土決戦に備え竹槍で藁人形を「米英撃滅」を叫びながら突く、木製のバケツ(桶)で消火訓練。
夜は空襲警報の度に電球に暗幕掛け、巡査の巡回で明かり漏れが見つかればピンタがとぶ。
食生活は推して知るべしで、すいとんや、里芋、薩摩芋、玉蜀黍などはご馳走の部類。大麦がゆが常食であった。
これからは、厳しい軍事教練も学徒動員そして徴兵されることもない将来が嬉しかった。
玉音放送の後、十津川(熊野川の上流・吉野郡)の清流で泳いだことを鮮明に覚えている。
今はその清流も戦後の高度成長を支える電源開発のために湖底に沈んでいる。
過日、安保諸法案が衆参で可決された。各財界も両手を上げている。
福島原発事故も一切の反省もなしに各財界も再稼働に期待している。
原発関連や各種兵器輸出にも現政府、財界は前のめりになっている。
とても悲しいことである。
「戦争を始めることは簡単だが,戦争を終わらせるのは困難だ」とチャーチルは言った。
玉音放送と十津川の清流は、永遠に、私の「心の故郷」である。
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