中国の為替制度は94年に「米ドルにリンクされた変動相場制」から、11年半ぶりに2%の切り上げ、変動幅は対ドルで前日比上下0.3%以内、新しくユーローや円に対しては上下1%内に収める仕組みの「複数通貨バスケット制」(ドル、円、ユーロを加重平均して算出)に切り替えた。直ぐにマレーシアも従来のリンギの米ドルとの固定相場制を廃止して、「バスケット制」に移行すると発表、自国通貨の下落や国内経済の混乱を回避させた。米ドルとリンクした為替制度を採っている国々は多く、貿易大国の中国の為替制度の影響は今後徐々に拡がりを見せる事は確かだ。IT革命の進む中で予見は困難だが、ここでわが国の為替制度の変遷を振り返ると少し先が見えてくるように私は思う。過去日本では、1971(昭和46)8月・米国ドルの金兌換停止措置(所謂、ニクソン・ショック)によって、直ちに変動相場制移行を発表・実施。同年12月には1ドル=306円(従来360円)に切り上げ。翌年72年2月、円の再切り上げ防止のため為替管理の自由化を決定。73年2月には欧州通貨危機のため東京外為市場閉鎖し、再び変動相場制を再開。この間、日本経済は第一、勧銀の合併、東亜、日本国内航空の合併、ドル・ショックによる株式市場の暴落を経て、急激な円高による内需拡大策「日本列島改造論」(1972年6月当時田中通産相、12月田中内閣発足)で、1973年10月の石油ショックを経て狂乱物価が始まっている。1974年(昭和49年)12月GNPは対前年比0.6%減で戦後初のマイナス成長となる。今回の切り上げ巾が数値的には低くても、中国が大きく制度改革に踏み出した事になり注目すべきだ。わが国の例を見るまでもなく、今後中国元の切り上げ圧力は為替市場で強まり、中国当局の金融政策は試行錯誤しながら変動相場制へと自由経済の荒波に晒されることになる。これからも益々、世界経済に及ぼす大きな力を持つ大国・中国経済の動向には目を離せなくなる。国有企業(不良債権を抱える金融機関や企業も多いと云われる)の多い、一国二制度の中国にとって、かっては成熟した社会主義国と言われた日本資本主義経済の足跡は範となり、少し先を読む材料として興味深い。「歴史は繰り返す」である。
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ほんと、目が離せなくなってきました。
人間があまりに多い国だけに、怖いですね。
暑中見舞いがわりに、TBさせて頂きました。
今後ともよろしくお願い致します。