つれづれなるままに

恐れ多くも、兼好法師のような文才はありませんが、日常の出来事を「ブログ」に表現できれば幸いです。’05.01.27.大安

◆「東京歴史散歩・赤穂浪士と忠臣蔵の謎を訪ねて」

2005-12-18 21:45:56 | Weblog


去る、12月9日(金)9:30JR田町駅に集合。歴史研究家・小林 祐一さんに案内されて、高輪周辺の赤穂浪士縁の史跡を訪ねた。●水野(みずの)監物(けんもつ)中屋敷跡:田町駅北口から少し入った商店街の一角に標識が立てられている。吉良邸に討ち入りした赤穂浪士47人のうち、間十次郎、神崎与五郎ら9人はこの水野家の屋敷に身柄お預けとなり、翌年元禄16(1703)年2月4日、全員切腹の沙汰が下され命を落とす。●綱坂(つなさか):慶応大学の西側を北に向って上がる坂が綱坂。坂を上がった右手、現在はイタリア大使館となっている一帯は、元禄の頃は伊予松山藩主松平隠岐(おきの)守(かみ)の中屋敷だったところ。赤穂浪士の大石主税(ちから), 堀部安兵衛、大高源吾ら10名が、このお屋敷にお預けとなり、切腹している。●細川(ほそかわ)越中(えっちゅうの)守(かみ)下屋敷跡:都営住宅の敷地内の一角にある。赤穂浪士の大石内蔵助、堀部弥兵衛(安兵衛の義父)ら17名が身柄お預けとなり、切腹。

●泉岳寺:江戸時代初期・慶弔17年(1612)、徳川家康が今川義元の供養のために外神田に創建され、寛永18年(1641)に現在地に移された。赤穂四十七士が葬られている事で知られ、討ち入りの日である12月14日には多くの参拝客でにぎわっている。境内には浅野内匠頭の墓、吉良上野介の首を洗った「首洗い井戸」、義士の墓、そして四十七士の遺品を展示した義士館がある。


旧東海道跡

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5 コメント

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初めまして(~-~) (夏椿)
2005-12-19 22:37:46
http://blog.goo.ne.jp/sarha07

私のブログのURLです

宜しければご覧下さい

浜千鳥さん 素敵なブログですね 

URLをありがとうございます
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TBありがとうございました (あかさ)
2005-12-19 23:09:32
はじめまして

私の拙いブログにTBありがとうございました

早速ですがこちらにもTBさせていただきました

これからもお邪魔しますのでよろしくお願いいたします

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こんばんは (まいまい)
2005-12-19 23:51:50
TBありがとうございました。

「赤穂浪士」ってすごく遠い場所の話の気がしていましたが、事件がおきたのは東京なんですよね・・・

う~ん、史跡巡り、楽しそうです!



私もTBさせていただきますね。
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出来ました♪ (夏椿)
2005-12-20 23:39:42
ブログ初心者の私は TBを良く理解出来ていなかった為 URL送ってしまいました↓↓すいません

本日 無事TBさせて頂きましたm(__)m

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はじめまして (maki)
2005-12-26 19:10:38
TBありがとうございます。

小学生でも携帯を持つ現代に生きてると300年前にあんなことが起こったなんて不思議です。

そんなところが私にとって歴史の面白さなんですが・・・

いつか吉良邸など東京へも史跡めぐりをしてみたいです!

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