「二人の男」・1922(大正11年)
海辺の輪舞・1925(大正14)年
青山義雄は、1894年(明治27)に横須賀市に生まれ、父親の転勤で根室、鳥羽など転居生活を送る。代用教員や肖像画を描くなどして旅費を蓄え、1921年(大正10)2月横浜からフランスに旅立つ。翌1895年秋には、サロン・ドートンヌに「二人の男」を出品・入選し、話題を呼ぶ。その後、生涯の師となるマティスとの出会い、ルオーにも接し傾倒していった。生涯の友、画家の林倭衛(しずえ)を介してアナーキストの大杉栄(関東大震災の混乱の中で虐殺された)との交友、梅原龍三郎や、作家の室尾犀星、広津和郎、また当時のパリにあって、日本人画家を支えた蒐集家・福島繁太郎(昭和8年帰国後、梅原龍三郎らと親交を深め、総合美術雑誌「フォルム」を創刊、銀座にフォルム画廊を開設、香月泰男、山口薫、宇治山哲平らを世に出した)とは家族ぐるみの付き合いだった。今回の展覧会は、102歳の没年間際まで絵筆を置く事のなかった青山義雄の旺盛な制作の足跡を,晩年の縁(ゆかり)の地である茅ヶ崎市の市民に広くしって知って貰うために開催された。地下一階は晩年の作品、一回は壮年の作品が展示されている。壮年の作品には迫力と野心を感じ、晩年の作品には優雅と古典的印象派への回帰を感じた。
浦賀水道・春 1992(平成4)年
振替日には、美味しいケーキをご馳走になり有難うございました。