戦後70年という 時間の経過は 日本人の 魂をこんなに変えてしまった.そう感じたのは 今回の
安全保障関連法案が国会に案件として提案されたから 国民のこれに対するさまざまな意見が
噴出してきたからである.
中でも 憲法に従って 仕事を進めなければならない 行政が 憲法専門の学者や 専門官の
違憲を 無視するかのような 解釈憲法を押し通そうとした
数による違憲と想われる法案を生煮えのまま数の力で柄仕切った.
時系列を追えばそんなことだが 問題は戦後701年という時間は そんなに日本人変えたのか
という疑問が われわれ戦前派から見ると 誠に心もとない 無常な世界ではないかと想うからである
憲法制定のころの 一般的日本人は 固く心に誓ったことがある.
日本はこれからさき おろかな戦争に手を貸してはいけない.
元々資源に恵まれない日本である 諸国民と 意を一つにして 世界の平和の先達となろう
そして日本の優れた技術を 世界に送り出して 世界に貢献していこうという意思の表明が新憲法だった
当時 この思想輪政治の世界で推進していたのが 小沢一郎であつた.だからかれが強い自由主義者であったことは
否定するものではない.しかし 学問的に新従主義者たちの 下とは異なる.政治的自由主義と 経済学的
自由主義の相違は明白である.
いずれにしても 一億聡玉砕和唱えた時代から敗戦国となった日本の選択は きびしい選択であった.
占領下での国民の暮らしというものは 誠に目を覆うものばかりテ゜゛あった.
主権回復して 日本が荊妻大国といわれタ゜してから 日本は 大国の仲間入りをして 強い国和目指し始めた.
強い国になろうとする願望は 帝国主義とダブってくる.アメリカ帝国主義. ロシヤ帝国主義 中国帝国主義
帝国主義者は覇権を望む 日本もその一角を占めようとする動きが出てきつつあると私は想う.
かってわたしたちの先人たちがわたってきた道である.
私はいま想うのだが 日本は決して大国主義に走ってはいけない国である.帝国主義の片棒を担いで
仕切り役をつとめようなどと柄にもないことを考えるべきではない
できることはやります.できないことは出来ませんとはっきりしたらいい
あいまいに逃げるから誤解を生ず゛る
まじめに日本の問題として結論出さねばならない問題である.
同盟国が如何のこうのという話ではない.同盟国と言ったってその中で出来ること できないことは
発揮しているはずだ してはいけないこと 国民を犠牲にすること これは同盟の主旨に反することである.
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