この頃は すっかり 家に引篭っとしまうようになった。人に接するのが
嫌いになったわけではない。女房にはしゃべりすぎというくらい 【男のしゃべりって
嘲笑されますよ。」と手厳しいくらい人と会うのは大好きだ。
女学校の教師として40年我ながらよくぞ務めたとほめてやりたい。もともと教師ではなかった。
大学卒業して 中小企業の監査室に在籍した経験がある。たまたま大学時代の教授から
「お前 女学校の先生やりたいといっていたね。」「先生あれは冗談ですよ。私みたいな半端者が
真正な居室に立てないでしょう」というと「実はねそんな先生がほしいというのだよ。」
「それはまたどういうことですか。」そいつもね証券会社出身でとある自余学校の
教頭を30年もやってるんだ。出身は某帝大としておこう。家業は100くらいたつつくり酒屋の
一人息子だ。学生時代から 遊学生で 祇園に通い詰めて 舞妓さんを揚げてしまった。
家を倒産させるくらいのつわものだ。
学校の夏休みに入ったころ その教頭先生から電話が入った。至急
会いたいという。指定の料亭がむ採用試験場だ。お会いして初めて接するせんせいのタイプ
話題も豊富だし ウィットに富んでいる。「アッそうそう給料は9,000でどうですか。
安いでしょう。ボーナス年間4・4か月ね。苦労するよ。校長は国立大学の生徒部長を昨年まで勤務されたk先生ね。僕のゼミの先制だ。」
なにかだまされたようなしかしいい気分で憧れの女学校の先生にはなったものの
これが大変な問題を引き起こすことになる。
先生だから 中心は専門科目における知識と研究心がや割を占めようか。
明るくなくちゃだめね。金言むっつりの先生も立派な先生たちですよ。1割の色気と
1割のユーモアと1割の面倒見こんな先生評判中続きするんじゃない。
下積の苦労もしなければならないが そのにおいのしない人。
時々PCの囲碁をやっていると 60才70才といったような定年退職のおばあちゃんたちが
初級で碁を打っておられる。「えらい。その調子」だが女学校時代の写真は困るね。
どんなおばあさんでも 私たちにはうら若き女学生なんだけど。
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