父親の後ろ姿。

2016-09-20 06:39:10 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

父親の愛情・・・・・私は乳離れと同時に よそに出された。貧乏人の子だくさんで

生活も大変だった。父があまり収入にもならない町医者 それだけならいいのだが

医者の目から 貧乏村を見て それでもましな暮らしをできるところにしたい。

つまり桃源郷を夢見たわけだ。母の兄私には伯父に当たる。若いころから東京で暮らしていた。

東京府立三中の出身だと私に入っていた。そこに引き取られた。子供が一人しかいなくて当時

同社大学に通っていて家に子供がいない。黙って抱いて帰った日から小宮家での生活が始まった。

伯父は33才で帰京した。すぐ尊重食について、その奇抜先村人を驚かした。

紋付き袴に桐野下駄。瀬か高いから威風堂々としたものだ。すっかり小宮家の養子として使用学校の5年まで過ごして疑わなかったわけだから こちらも相当鈍かった。

時々実家に行くと、実家の父は何屋かと幼児を作り出して返そうとしない。

一緒にお風呂に入ると 丁寧に丁寧に洗ってくれる。最後に足裏をちょこちょこと

こそばる。兄なんかに聞くと父は大変厳しかったというが わたしには一度もしかるということはなかった。

今夜、とまって行け。小宮のお父さんにはそう伝えておくから。

親子3人 川の字で寝るという経験はあまりなく貴重な体験だから 何年たっても

忘れることはない。夜中気が付くと父親が わたしの両手を包むように握っていた。

亡くなる間際に「お前にはすまなかった。」という一言。父は何を言いたかったのだろう。 

いつも 机の上に 読みかけの本が開いていた。赤い線が引いてあった。

これが当時の親子の意思伝達の手段だったのだろうか。

この方法は わたしの子供に引き継いだ。東京大学の数学矢野教授の随筆集を

机に乗せていたら子供がそれを読んだらしい。それで気が付いたのだが 男の子は父親の読み物に大いに関心を示すということだ。

時々中学生の数学など机に乗せているとほしがった。塾に通っているわけではないが

こと数学にかけては 全国ランクになっていた。そんなに知能がいいわけではない。

特別な受験勉強するわけではなかったが現役東大合格を果たした。

しかし、いま大きな後悔をしている。なぜ東大えらんだろう。古典の読み方が足りないよ。

知識と人格は別物だよ。学歴なんか大した威力になるものでもないのに。

官僚見たらわかるよ。彼らは立派な頭脳をもちながら 使い方を間違えているようだ。。豊洲

事件見てもその通り。前大戦見てもその通り。政策ミス。それでこくみんを不幸にしたのだから。

学歴でいいことしてないじゃん。


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