やっと一年…いやいや…あっという間の一年…だったのだろうか…
長かったのだろうか…いや…去年の今日境が出来るとは誰が想像できたのかしら…
あの日 4月の開所式の献立を委託会社の栄養士と 打ち合わせしていた。
そこにお気楽メールが一通
受信時間 3月11日 14時26分
上司が 研修で東京の永田町に出張中だったので スカイツリー写真撮ったので送ったんだと思う。
添付画像のみの お気楽メールだった。
なんちゅーお気楽やぁ~と メールの写真見せて3時から会議だから 早く決めちゃおうと
話していた時…
「あれ…???私 おかしいわ…めまいがしている」…デスクにいて座っていた。
「えっ!だいじょぶですかぁ~」…若い栄養士は私の横に立っていた。
「んっ…ちょっと…めまいじゃないよ…ほら 周り動いてゆれていない?」
彼女、初めて気がついたようで…「あっ…いやぁ~怖い」…騒いだが この頃は揺れが収まっていた。
…実は職場の場所は岩盤の上なのか あまり揺れず
厨房で仕事しているお姉さん達は誰もが 地震があったことなんて知らなかった。
まぁ~留守を預かる身の上 早速回りを確認し 被害無しと上司にメールをしておいた。
(まさか あんなに大きな災害だと知るよしもなく)
…その後 三時からの会議に私は急ぎ会議室に入ると 外から悲鳴にも似た 職員の声が聞こえ
静かにするようにと 部屋の外に出て職員の溜まっているテレビの前に立った。
…ひとりが…「だってぇ~ほら テレビ観てみてよぉ~」と指を挿す。
映画のような画像が 目の前に流れているが 映画ではなく現実の津波の映像かと驚きとともに
声がつまり目頭が熱くなっていた。
その後 上司からメールで しばらくそのまま東京だぞ!死ぬ思いだ。と入り 次には会議場に泊まるかも
困った 余震が…と
静岡では映像でしか分からない現実のメールが届く。
上司は結局1人の方がインシュリンを打っていて、薬をホテルにおいてきたとの事で
永田町から新宿へ歩き戻られたそうです。
その後のメールは 明日 相談員に車で東京までむかえにこいだとか わがままメール
夜には電話で もう、呑むしかないんだよと…新宿は店が開いていて
他に何も出来ないから 明日帰ることを考える作戦会議中だといっていました。
まぁ~地下鉄が動いて翌日のお昼過ぎには新幹線で帰宅できたみたいでしたが…
我が家は 昼間は母はデイサービス…おかげで忘れてしまう病気だったので…
地震どうだったときいても…ちんぷんかんぷんでした。
こいつらも…ちんぷんかんぷん…
ただテレビを観るのは辛いけど 現実を観なくてはと テレビつけていたと記憶しています。
…息子の職場は海の近く
他の会社は 避難したのにオレッチは牛乳が駄目になるからって続けていたみたいでした。
たった 一年…いや…沢山の大事なものをなくし 沢山の大事な事を知った年でもありました。
日本人がとても大好きになった年でもありました。
また一年 また一年と節目節目で思い出すって事ではなく この日本列島にいる限り
何時あってもおかしくない大地震などの自然災害に対して備えてが必要なのよね。
想定外って事はありえない この自然に立ち向かうんだから甘く考えちゃいけないって…事も覚えた。
何にしても 日本の全てが変わった日が2011年3月11日だったんですよね。
…あの 福島の原発事故がなければ 復旧のめどは立っていたのにと…言ってもしょうがないけど
ついつい 言えちゃう…もう少しこの消費社会を変えていけって 言われているんですよね。
江戸時代 鎖国していても全てが循環していた国だったはずなのに…まとまりのない 当時の思い出。