フォト俳句・天使の梯子

    時として見る天使のはしご
    まるで神の呼びかけのよう。

            花木柳太
   

不思議な半年-③

2025-02-09 19:20:41 | 創作


     創作  不思議な半年ー③   







正月の長い休みを終えて出勤するとまだ車には乗れなかった。相変わらずの営業所勤務だった。その頃は休みの日も家にいる時も仕事中も24時間何かに包まれているような監視をされているような状態でおかしな気分になっていた。少し恐ろしい感じさえした。或る日帰ると机の上がおかしかった。鋭いもの、鉛筆の先端、ハサミの先、それらが母の保険証や領収書を指していた。まるであれもこれも知っているぞと言われているかのようだった。誰かが室内に入った形跡があると思った。
 110番すると「なるほど伺います」と言う。まさか来てもらえるとは思わなかったが来てもらった。「訴えますか」と警官は言う。何の証拠もないのだから訴えられる訳がない。こういう時特徴的な事があった。電話をするとハイハイ分かっていました電話がくるのはという感じで対応された。それと数字、車のナンバーを読む癖がついた。気のせいかもしれないが「7777」とか「1102」とか高級車が前を行くことが多くなった。母の誕生日は11月02日だった。気のせいだろうがそんな事も気になった。まあ高級車は良いナンバーが多いことも確かではある。車が先導するかのような錯覚に陥ったりもした。
 一月の中旬、成人の日を終えた頃、朝礼で鳥飼美由紀の退職が発表された。まだ若いし仕事もできると評判だったので誰もが驚いていた。私にも寝耳に水でショックな出来事だった。鳥飼美由紀は社内の西村と交際していて寿退社という事だった。そうなると西村美由紀となる訳で「ニシムラミユキ」は私が20歳の頃から5年間交際して別れ長い間引きずっていた、女性の名と一致した。こうなるともう、偶然ではなかった。

川本の言葉に憤ってぶっ飛ばして帰ると、横からす~~と白い原チャリに乗ったおばさんが出てきて前に付いて、キッチリ30キロで先導する。そんな事は普段にあることだから説明は出来ない。しかしそのバイクは奇麗に整備された旧式のもので独特な形をしていた。このおばさんとぼけているのかと初めは思っていた。(動かされているだけで本人は至って大真面目なのだと判るようになった。)
人を動かしたり、話をさせたり、新聞に記事を書かせることなどいとも簡単なのだと理解するように私はなった。といってもこの頃ではない。こんな事もあった。所長の言っていた教育の事、朝バイクに乗って信号待ちをしているとサラリーマン風の男、新聞を広げて空を見上げているかのようで可笑しかった。私は貴方の走りを見ています。と私に何者かが思わせることができる。そういう風に男を立たせることができる。国道の車の流れも偶然ではなかった。人を動かせるという事はそういう事だ。車も飛行機も全て動かせるのだ。いとも簡単。
 二月になり全車に新しい機器が取り付けられた。もう、無線の必要はなくなった。その説明会の席で同じ班の男が私に聞こえるように「今度の所長は吉岡らしい」と私の名を言った。それでも「知らんぷり」を決め込むしかない。実際のところ所長になったとてどうなるものでもない。相も変わらず土日が休みだった。二月の休みの日だったろうか家でまんじりともせずに居ると玄関でぽとっと音がした。行ってみると3ページほどの新聞だった。油山シャローム教会発行のシャローム新聞、一面にフキノトウの写真があり聖書の言葉が書かれてあった。もうその頃は道に落ちているチラ際にも気を配るほどだったのですぐに電話した。加藤副牧師という人が出て待っていたかのように話をした後、「うふふ」と笑った。それは坂口係長の口癖だった。


                                           ーつづくー





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不思議な半年-②

2025-02-09 17:15:09 | 創作

     創作  「不思議な半年」-②







事務の女性に奇麗な子がいた。制服のせいで24歳くらいに見えたがまだ20歳の名を鳥飼美由紀といった。営業所のマドンナ的な存在だった。私は年甲斐もなく自然に惹かれていった。つまり片思いの恋に落ちた。そんなせいもあって仕事をするのが会社に行くのが楽しくて仕方がなかった。私は今までどんな会社で働いてきたのだろう。どんな仕事を選んできたのだろうと思えた。一方川本と云う男が理不尽に私に接し教育した。恐ろしく車の運転やフォークリフトの操作がうまかった。特にフォークリフトの寸分たがわぬその運転は見事だった。
この男、実際に路上で運転しても良いかの試験官もしていた。私は運転にはいささか自信があったが同期入社のもう一人は「こんな運転じゃとてもじゃないが駄目だ」と班長に伝えるため無線で言うものだから全車に聞こえるのだった。夜、所長と係長と私と川本の4人になって雑談をしていて、私が意見を言うと飛び掛かって来て椅子ごとひっくり返したりもした。そんな時、ふわりと床に落ちどこも痛くはなかった。まるでスローモーションで落ちたかのように不思議な落ち方をした。
 川本は「お前なんぞ何時でもクビに出来る」と息巻いた。私はホーム作業は一人だったので自由にアイデアを実現し、工夫し仕事を楽しんだ。所長が私を二階に連れて行って「私が所長になる時会社はテストをした。自然に普段の生活の中で教育される。30キロのところは30キロで走るようになる。」と言った。別の日には「あなたはおかしいという人が居る」とも言われた。おかしくもなる。通勤は50ccのバイクでしていたが、家でも出勤途中でも職場でも常に様々な方法でメッセージが届くというか、他人には言えない事だった。当時私はM運輸が5万5千名の組織力を以てやっていることだと思っていた。
日経のコラムにしても東京本社の人が何らかの意図で記者に書かせようと思えば可能だと思っていた。ローカル局のKBCの深夜番組「ドオーモ」がドオーモ新聞を作っていて市内の各所に置いていた。それを持って来て二階の休憩室に置いた。そして机に向かって電話を取ると「どおーも、や、どおーも、こりゃまた、どおーも」と男は言うのだった。おかしいというよりまた始まったなと思って平静を装って処理したけれど、それは主管支店からのもので一応用件はあった。しかし、何処かにカメラが仕掛けてあると天井を見回したりした。
また例の所長候補は電話を受けて「なんだあ、この電話は・・」と立ち上がって明らかに狼狽して後退りした。そんな時私はああこの男にも何かが起こっているなと思った。
 私は50ccの原付バイクで通勤していたが、M運輸は安全運転の規則も徹底していた。集配中は40キロ、地区への行き帰りも50キロを超えて運転することはできなかった。タバコを吸いながらの「ながら運転」も禁止。原則としてバックも禁止だった。バックしないで一周するように・・。
 原付バイクも30キロを守って運転するようになったが川本の言動に憤って帰ることもあった。国道は気のせいではなく私が憤って走ると全体が素早く流れ落ち着いて走ると静かに流れるのであった。そんなはずは無いと途中でバイクを止めて気味悪がったりもした。


                                            ーつづくー





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不思議な半年ー①

2025-02-09 15:54:47 | 創作

      創作 「不思議な半年」ー①







平成4年10月1日、私はそれまで続けて来た自営業に見切りをつけ宅配大手のM運輸に入社した。二カ月間の研修を経て埠頭にある東営業所に配属された。いまから18年前40歳の時だった。パン工房を備えたファミリーマートが向かいにあって、夜になるとそこだけが埠頭の闇の中に浮かび上がったかのようでほのぼのとした佇まいを見せていた。12月の或る日の朝、日経新聞の朝刊の"春秋"の欄にあれと思うような記事が載った。マクドナルドのマニュアル通りの接客に関するもので研修でも取り上げられ、よく耳にするものだったが何か自分に向かて書かれたような感じがした。
それが最初の出来事だった。12月の中旬、配達がうまくいかなくて営業所勤務になった。こんなことも今では神の仕業かと思う。配達がうまくいかなかったのは住所が1678番地といったものだったから。3丁目22番18号といったものなら配達は出来た。つまり、そのように営業所勤務はどうにでもできる。ホーム作業と事務所の仕事、街はクリスマスの雰囲気に包まれ営業所は繁忙期に入っていた。時期がクリスマスの頃だったこともそうなのだろうと今では思う。次々に掛かってくる電話の応対、事務処理をしていると自分に意外な能力を発見したりした。今まで事務の仕事はしたことがなかった。
体調も万全でまるで高校生に返ったかのように体が軽かった。或る日ホームで一人作業をしているとナナハンのバイクが構内に入って来て入り口であざやかにUターンしていった。それがなぜか私には何かの合図のように思えた。それは普通に有りそうなことだが、多分そう思わせることができるのが今では分かる。それが二度目の出来事だった。何かは分からないが繁忙期の営業所の中で何かがおかしいと思えるようになっていた。どうも何かがおかしい・・まるで劇団の中で仕事をしているかのようだった。
そんなある日、私は発送する宅配便のボックスに営業所のコードが記された小さな発店シールに小さく「本日は晴天なり」と書いて貼った。何かがおかしいと思えるので青空を見ていてそう書いてしまった。どうも営業所というよりM運輸全体で何かが行われているように感じたからだ。その時川本という男が配達から帰って来て遠くから大きな声で「あ~やっと分かったか。今日はいい天気だなあ」と云って通り過ぎた。どういう事だろうと思った。腕時計の文字盤ほどのシールに書いた文字が見えるはずはないしその前の言葉も・・。本人は別の事を言っているだけかも知れない。そんなことが次第に起こるようになっていった。

M運輸は運送会社にしては週休二日制だったし、会社の生い立ち、劇的な歴史、全てにおいて気に入った。今までどうしてこんな会社に巡り合わなかったのだろう。初めに言葉を聞かされ、後になってあの時の言葉はそうだったのか、伏線だったと思わせる為だったのかと思えるような事が幾つかあった。例えば研修の時社員食堂の食券を買おうと並んでいると教官が近づいて来て「ああ、あなたがそうですか」と言う。意味が分からないでいるといつの間にか所長の転勤が決まっていて次の所長は私だという設定になっている。M運輸は試雇機関が一年もあるような会社で、入社間もない私がそうなるはずはない。しかしそういう雰囲気になっている。訳が分からない。が悪い気はしない。新卒採用の34歳の男はもうすっかり次の所長は自分だと思い込んで浮足立っている。そんな設定になっていた。そんな時、日経の春秋欄にはもっと高次元の人事を例にとって「知らんぷり・・」を決め込むようにアドバイスが書かれてあったりした。人事は意外と‥で始まるものでもう文章は憶えていないが良い文章を書くなあと思った。日経の新聞の文章までがガラリと変わったようにも思えた。いまではそれも有りうると思う。

                                       -つづくー



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冬干潟

2025-02-09 05:41:36 | 俳句


   冬干潟青空見えてちと嬉し  







俳句の世界ではもう「春」であるがまだまだ寒い
冬と云う文字を使うのはどうかと思案はした。
=如月や青空見えてちと嬉し=
では今一つしっくりこない。俳句もややこしい。

明後日から幾分寒さも和らぐみたいだがまだまだ寒いようだ。
昨夜、スマホでブログを振り返っていた。
始めてからご覧くださった方もブログを閉じていたり
貴重なことを教えてくださった方も懐かしい。

昨年は一年休んだりもしたが続けてこられたのは
「俳句ブログ」だったことが大きいだろう。
不思議とパソコンよりスマホの方がスムーズに遡れた。

毎日の更新を続けて来たが私の場合は
俳句が詠めたときの更新が良いようである。




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水仙

2025-02-08 17:13:22 | 俳句


   水仙の凛と咲きいて波寒し  







散歩はとても寒かった。
明日までは結構な寒さらしい
昨夜の雪だろうかまばらに雪が残っていた。

寒気も今回で終わりだろうか
3月20日には桜の開花を当地は予報されているが・・
梅が咲いたばかりで気の早いことだが春が待ち遠しい。

テレビを観なくなると世間に疎くなる
昨年は流行語大賞の意味が分からなくなったりもした。
流行りのドラマも分からない、落語などは地上波ではやらないし
内輪で面白がっているバラエティ番組が多いような気がする。
どうでも良いようで良くはないのだが・・

新聞も読まなくなったし、小説も読まない。
老眼のせいもないではないが活字離れも進む。
歳を取るという事か・・

俳句も冴えない・・?



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