紫土に染まりし怒りの焔(ほむら)に、培ってきた全てが焦土と化す。
やり場のない感情が、出口を求め暴れだす。
鋭い牙が、獲物を求め疼(うず)きだす。
一度に天国と地獄を味わった15回目の誕生日を、俺は絶対に忘れない。
忘れてなどやるものか。
紫土に染まる 肆
家族に誕生日を祝ってもらい、幸せな気分を味わいながら自室へと戻ろうとした際、
「あきら、私の書斎に来なさい」
いつになく厳しい表情をのぞかせる親父に引き留められた。
柔和で温厚で厳しくも優しい美作肇としてではなく、美作家を束ね導いていかんとする美作家当主としての顔を見せる親父に、自然と俺の気持ちも引き締まる。
つくしの親父さんを不慮の死で失った事により、ジワリジワリと邸内に綻びが出始めてきた。
有り体に申さば、統率力と団結力が低下し、まとまりがなくなってきた。
人畜無害で飄々とし、頼りなさげで時として不安に思う事もあったけど、実はつくしの親父さんは美作家の執事として上手に手綱を引いていたんだ。
その事を、失ってから気付かされるとは思いもしなかった。
多分、その辺りの話をするんだろうなと予測をつけた俺は、大人しく親父の後に続き、書斎へと足を踏み入れた。
するとそこで待ち受けていたのは、恐ろしいくらい顔立ちが整った、見た事もない男だった。
「親父、この人は・・・」
「そうか、あきらは初対面だったな。紹介しよう。私の『シノブ』だ」
「!?」
「初めまして坊っちゃん」
「っ!初めまして。美作あきらです」
親父の『シノブ』から放たれる圧倒的なオーラに思わずしり込みしそうになったものの、それを面に出す事なく無難に挨拶を交わした俺は、不躾にならない程度に親父の『シノブ』を盗み見した。
一見、物腰が柔らかそうに見えるその風貌も、俺には空恐ろしく感じる。
一変すれば瞬く間に、悪鬼へと変貌するだろう。
何の躊躇もなく、ただ愚直なまでに親父の命令に従い、的確に敵の喉笛を咬みきって。
俺の目には、そんな獰猛な獣にしか見えない。
興味本位で深入りするのは危険だ。命取りになる。
そんなニオイが、親父の『シノブ』からは漂っていた。
「あきら、『シノブ』が気になるかもしれんが、今は私に集中してほしい」
「・・・あっ、はい」
「大事な話がある。そこに腰掛けなさい」
そう言いながら定位置の椅子に腰かけた親父からは、疲労の色がうかがえる。
これは、かなり難しい話になるかもしれないな。
そんな事をぼんやり思いながら、俺は親父の正面にある椅子に腰かけた。
するとそれを合図かの様に、親父は軽く息を吐いてから言葉を発した。
「つくしの家族が襲われた事件は、もうカタがついた。心配はいらん」
「・・・カタがついた?」
「そうだ」
「カタがついたって、どうやって犯人を・・・」
「今から『シノブ』に報告させる。シノブ、あきらに事件の全貌を聞かせてやってくれ」
「へいへい。じゃ、遠慮なく報告させてもらいますかね」
苦笑いしながら親父の背後に立ち、俺と対峙した『シノブ』は、事件のあらましについて淡々と話してくれた。
つくしの家族を襲った犯人達や、ソイツらの犯行に至るまでの経緯、そしてどう始末をつけたのかまで全て。
それらを顔色一つ変える事なく俺に報告する『シノブ』からは、何の感情も読み取れない。
ただ業務の一貫として報告をするだけ。
冷静に正確に、事のあらましを俺に伝える。
そんな『シノブ』から告げられた真実は、俺を絶望の淵へと追いやるに充分だった。
「・・・俺のせいだ。俺がつくしの家族を奪ったんだ。つくし以外の女に興味がないって突っぱねたせいで、あのジジィはプロの殺し屋につくしを襲うよう依頼した。そして・・・結果的につくしの家族が殺された。元はと言えば俺が・・・俺が悪いんだ!つくししか眼中にないって態度を示したから。安易な言動をとったからジジィは・・・ジジィは強硬手段をとったんだ。俺が・・・俺がつくしを苦しめた元凶なんだ!」
「あきら、自分をそんなに責めるな。自分で自分を追い詰めるな」
「だって事実だろ!俺が軽薄な言動を慎んでいれば、こんな事にはならなかった。俺がつくしを苦しめたんだ。誰よりも幸せにしたいと願った女を、俺が誰よりも不幸せにした」
「つくし本人はそんな事、思ってもいない。だからあきら、そんなに───」
「そんなの分かんねーだろ!」
「あきら・・・」
「俺が引き金になったんだ。俺がつくしの家族を奪った張本人だったんだ。それなのに俺は、つくしの全てを手に入れたと喜んで、浮かれて、有頂天になって・・・最低な男だ」
「「!!」」
「・・・は・・・はははっ!そうか。だからあの時、つくしは首を縦に振らなかったんだ。俺からのプロポーズを受け入れてくれなかったんだ」
「・・・なるほど。つくしと関係を持ったんだね」
「何だよ。文句でもあるのか!?」
「いや、そうじゃない。納得したんだよ」
「はっ?」
「つくしが『あきらのシノブとして働きたい』と言った真意と覚悟がね。そうか、つくしはつくしで自分の気持ちに区切りをつけたんだな。そして、あきらの恋人としてではなく、あきらの『シノブ』としてあきらと共に人生を歩む決意を固めたんだ」
・・・今、何て言った!?
つくしが俺の『シノブ』として働きたいだって!?
冗談か?もちろん冗談だよな?
俺の『シノブ』になりたいなんて、性質の悪い冗談に決まってる。
だって『シノブ』だぞ。
主人に命を捧げ、主人の為だけを考え、主人の為なら顔色一つ変えず人を殺め、いつも危険と隣り合わせで過酷な任務を遂行するあの『シノブ』になりたいなんて、何かの冗談に決まってる。
「何を言ってるんだ親父。つくしが『シノブ』になりたいなんて、そんな事を言う───」
「事実だ。つくし本人から『シノブになりたい』と申し出があった。これからは、あきらと美作の為に働きたいと・・・両親のように美作を守りたいんだと、私の目を見てはっきり言ったんだ。私のシノブもその場にいたから間違いない」
「お嬢ちゃんの腹は決まってる。何が何でも坊っちゃんの『シノブ』になるつもりだ。いや、なる。そんな強い意志を感じたね」
「ふざけるな!そんなの、認められるワケねーだろ!」
「認める認めないは坊っちゃんが決める事じゃない。坊っちゃんの『シノブ』を決める決定権は俺のご主人様、つまり、美作家の当主が持っている。坊っちゃんが口を挟む権利はない。そもそも、坊っちゃんが迂闊にお嬢ちゃんの名前を出さなけりゃ、こんな事態にならなかっただろ」
「シノブ、あきらを追い詰めないでくれ」
「へぃへぃ。ご主人様は本当にお優しい事で」
「すまないね、あきら。シノブは物事をオブラートに包む事を知らないんだ」
「・・・」
「あきら?」
「・・・何も考えたくねぇ」
「えっ?」
「美作の為だとか美作を守るだとか、知った事か。煩わしい」
「・・・」
「つくしと一緒にいたい。そんな簡単な事が出来ねぇ家なんて、どうだっていい。俺はただ、つくしが欲しい。つくししかいらねぇ。つくしが傍にいてくれるだけでいい」
「・・・」
「ああ、そうか。そんな幸せを望む事すら、俺には許されないよな。俺の顔なんて見たくもねぇだろうし」
自分の家族を奪った元凶の俺を、つくしが受け入れてくれるはずがない。
例え受け入れてくれたとしても、つくしの心の奥底で燻(くすぶ)る火種を消す事なんて出来やしない。
俺に対するわだかまりはなくなりゃしない。
きっと俺を、本心から許してくれる日なんて来やしない。
そんな絶望が俺を襲う。
「あきら、つくしはそんな子じゃない。あきらのせいで家族を失ったと思う様な子じゃない。もしそう思うなら、自ら『シノブ』になりたいとは言わないんじゃないのか?つくしは二心を抱くほど器用じゃない。自分の置かれた立場を理解し、ベストを尽くそうとする」
「親父・・・」
「つくしを誰よりも理解しているあきらなら分かるだろ?」
「分かりたくもねぇよ。ちくしょう!つくしを苦しめた自分が憎くい。俺の心に爪をたてるつくしが憎くい。そこまでつくしを追い詰めた自分が憎い。俺に何も言わず勝手に人生を決めるつくしが憎い。俺を好きだと言いながら、離れていくつくしが憎い。でも・・・それ以上につくしが愛しい」
「あきら、そこまでつくしを・・・」
「坊っちゃんよ。たかが15のボウズに、愛の何たるかが分かるのか?そもそも愛って何だ。そういうのはさ、軽々しく口にするモンじゃねーと思うぜ!?」
「シノブ!」
「はいはい。これ以上、余計な事は言いません」
ホールドアップし降参のポーズをとるものの、全く悪びれた様子のない『シノブ』に、俺は何も言い返せなかった。
だって、『シノブ』の言葉に間違いはないから。
世間知らずの中学生の俺が、愛の何たるかを知る由もないから。
だから不思議と『シノブ』に対して怒りは沸いてこない。
その変わり、自分に対する怒りだけは沸沸と沸いてくる。
抑えても抑えきれない怒りが。
そんな俺を正面から見据えていた親父は突然、
「先代のところに行きなさい」
と言いだした。
先代というのは、前当主である俺のジィ様の事だ。
早くに隠居し、世捨て人のように暮らすジィ様は、あまり俺達家族と交わろうとしない。
顔を合わせるのは年に1回程度。
それだけ行き来がないジィ様のところに行けなんて、親父は何を考えてるんだ。
「何でジィ様のところに行けと?」
「今のあきらの心には、先代の言葉が一番響くと思ったからだ」
「ジィ様の言葉・・・」
「これからどう美作の家と向き合っていくか、つくしと接していくか、先代と話をして答えを見つけてきなさい。あの人の哀しい過去の話を聞いて、自分の行く末と照らし合わせなさい」
有無を言わさぬ親父の圧に負けた俺は、ジィ様のところに行くと約束し、ここを後にした。