「母の願望を押し付け申し訳ないとは思います。ですが、総二郎さんには牧野さんと添い遂げてもらいたいのです」
「その結果、西門を追い出されても・・・ですか?」
「西門は魔境です。そんな恐ろしい世界に、総二郎さんを放り込みたくありません。家元の血が流れているとは言え、お腹を痛めて産んだ可愛い息子に苦悩の道を歩ませるなど耐えられない。ですから、跡を継いでもらいたいとは思いません」
何の躊躇いも迷いもなくそう言い放った家元夫人は、照れ隠しの為にそっぽを向く総二郎を、和かな瞳で見つめた。
長男の祥一郎は病死した先妻の子、三男の廉三郎は家元が妾に産ませた子なので、家元夫人の実子は総二郎だけである。
なので、本来ならば実子に西門流の跡を継がせたいと思うが道理なのだろうが、家元夫人は違っていた。
家元夫人として裏方を取り仕切れば取り仕切るほど、ドロドロとした真っ黒い闇の部分を目にしてしまう。
家元夫人ですらそうなのだから、家元ともなればその何倍もの闇を目にし、対峙しているのだろう。
そんな汚い部分を息子に見せたくないし、渦中の渦に巻き込みたくない。
それが、家元夫人の本音だ。
「総二郎さんは、家元ほど狡猾にも冷酷にも残虐にもなれない。まだ貴方は本当の意味での、この世界の汚い部分を知らない。ですから、今がチャンスなのです」
「チャンス?」
「牧野さんを選び、人としての幸せを掴むチャンスです。若宗匠になったら、己を出す事は出来ません。非情になり、宗家を守っていかなければならなくなります」
「・・・」
「かしずく人間は多くとも孤独です。表裏一体の世界で家元にあてがわれた女性と結婚し、生涯を終える。それもまた、一つの道でしょう」
「俺・・・私は・・・」
「ああ、一気に話しすぎましたね。今日の所はこの辺で切り上げましょう」
総二郎さんも混乱してるでしょうから。
頭の中を整理してから、演奏会に行くか行かないかを決めて下さい。
そう付け加えた家元夫人は、ローテーブル上に置いたチケットを手にし懐に仕舞うと、静かに総二郎の部屋を後にした。
そして、数ヵ月後───
「我が身は女なりとも 敵の手にはかかるまじ」
左目に眼帯をあてがい、朗々たる声で平家物語の先帝御入水の場面を、舞台上で演ずるつくしの姿があった。
特に、二位尼が安徳帝を抱き締めながら入水する場面は鬼気迫るものがあり、多くの観客の涙を誘う。
技術的な面で言えばまだまだ粗削りな部分はあるものの、観る者の心を掴み、一気に物語の世界へと誘(いざな)う技量は目を見張るものがある。
これはもう、天賦の才としか言いようがない。
そんなつくしの演奏会を最後まで見届けた二組の親子は、感動の余韻にひたりながら会場を後にしようとしたのだが、
「あきら!?」
「総二郎・・・」
「・・・ご無沙汰しております、美作社長」
「奇遇ですね、家元夫人」
総二郎と家元夫人の親子、あきらと美作社長の親子は、会場の出入口付近で遭遇してしまった。
今回はつくしの単独講演という訳ではなく、琵琶以外にも箏や尺八、笛など日本伝統音楽を担う若手の演奏者が集まった合同演奏会である。
よって、さほど大きな会場で行われた演奏会ではない。
なので、来場していればこうして顔見知りが出会う事も、なきにしもあらずなのだ。
「珍しい場所でお会いしますわね。どなたかお知り合いでも?」
「日本伝統音楽を継承する若者達をサポートするプロジェクトが、美作商事で立ち上がりましてね。今日はその関係で来たんですよ」
「そうなんですの」
「ええ。社会貢献の一環です。ところで家元夫人は何故ここに?」
「私の贔屓筋のお弟子さんが演奏されてましたの。ですから、息子と一緒に伺ったんですわ」
「贔屓筋のお弟子さん?」
「そうです。眼帯姿の琵琶奏者がいましたでしょう?素晴らしい演奏でしたわね」
あの女性琵琶奏者が、贔屓筋のお弟子さんですの。
将来性のある楽しみな奏者ですわ。
今後、贔屓にさせてもらいます。
勿論、色々な意味で。
声高らかにそう言い放った家元夫人は、表情を崩す事なく自分を見つめる美作社長に、少しだけお話する時間を下さいと低姿勢でお願いした。
「この近くに茶房があります。そちらでお話を致しませんか?いえ、お話を聞いて頂きたいんです。お時間はさほど取らせません」
「・・・そうですね。いい機会ですし一度、じっくり話し合った方がいいでしょう。悪いがあきら、お前は一足先に帰っていなさい」
「いや、俺も行く。その方が色々と都合良いだろ。下手に勘繰られても困るし」
そう口にしたあきらは、梃子(てこ)でも動かないといった様相を見せた。
その口振りや態度からするに、あきらは家元夫人の過去をある程度、把握している事がうかがえる。
勿論、家元との関係も含めて。
だからこそ警戒し、秘密が漏れぬよう細心の注意を払わなければならない。
家元夫人の元婚約者である清辻某の娘が、十年前に死んだとされる牧野つくしと同一人物であり、その死んだはずのつくしが実は、隻眼琵琶奏者として生きているという事実を。
それが知れたら、何かと面倒な事になる。
特に、清辻家に神経を尖らせている家元には。
なので、あきらは家元に疑いを持たれないよう、偶然出会ってお茶をしたという体(てい)を作ろうとしたのだ。
そんなあきらの思惑に気付いたのか否か、はっきりとは分からぬものの、家元夫人はそれを受け入れた。
「あきらさんに会うのも久々ではなくて?総二郎さん。ですから、貴方もご一緒なさい」
「はぁ!?俺もかよ」
「積もる話もあるでしょう?宜しいわね」
「・・・へぇへぇ。分かりやした」
家元夫人の有無を言わさぬ視線と圧に、総二郎も何かを感じ取ったのだろう。
仕方なしといった様相をのぞかせつつ、素直に家元夫人の言に従った。
〈あとがき〉
何やら雲行きが怪しくなってきました。
会話の行方次第では、あきらと総ちゃんの仲がこじれる!?
どうなる事やら(→何も考えてない)