普段口にする事のない高級な茶菓子を食べ、茶で喉を潤したつくしの耳に、この個室に近付く足音が聞こえてきた。
「夢子さんが来たのかな・・・ん?夢子さん以外の足音もするけど・・・誰?」
軽やかにヒールの踵(かかと)を鳴らし、こちらにやってくるのは夢子だと分かるが、もう一人の靴音が誰のものなのか分からない。
靴音からするに、男性であるのは間違いないが、随分と落ち着きのない歩き方をするなとつくしは思った。
「さっきの係員さん・・・にしては、せせこましい歩き方よね。こんな落ち着きない歩き方するかなぁ」
自分をここに案内してくれた係員さんは、もっと優雅で品のある歩き方をしていた。
今、聞こえてくる靴音とは雲泥の差だ。
もしかしたら、先程とは違う係員さんが夢子さんをこちらに案内しているのかもしれない。
などと、心の中で自己解決したつくしは、夢子を迎えるべく席から立ち上がり、個室の扉が開くのを待った。
すると、
「牧野!!」
扉が開いたと同時に、黒い大きな塊がつくし目掛け突進してきた。
そして、二度と離さないと言わんばかりに、彼女を力強く抱きすくめた。
「牧野・・・牧野!」
「ぐえっ・・・」
「会いたかった・・・牧野」
「ぐる・・・じ・・・」
「もう心配いらねぇからな。これからは俺がお前たちを守るから」
「うぐっ・・・な・・・せ」
「牧野?」
「苦し・・・い・・・離せぇ~」
息も絶え絶えに離せと言い、唯一身動きがとれる足で黒い塊の足を思いきり踏みつけたつくしは、相手が怯んだ隙にそのままの勢いで、ボディブローを一発お見舞いした。
「いってぇ~~!何すんだよ!?」
「何って・・・いきなり抱きついてくるから!・・・って・・・えっ?」
ボディブローが効いたのか、腹を押さえ座り込む黒い塊を、つくしは信じられないものを見たといった表情を浮かべながら手で口を覆った。
嘘でしょ?
会いたくて仕方なかった人が、目の前にいる。
二度と会えないと思ってた人が、目の前にいる。
まぁ、目の前と言うよりかは、足元でうずくまってると言った方が正しいけど。
と、妙なところで自分に冷静な突っ込みを入れたつくしは、黒い塊と目線を同じにすべく、床に膝をついた。
「な・・・んで・・・ここに?」
「迎えに・・・痛ぇ」
「迎えにって?」
「そのまんまの意味だよ」
「なん・・・で」
「何もかも一人で背負わせちまって悪かった」
「っ!」
「もう離さねぇし、離れねぇから」
「に・・・し・・・かどさ・・・ん」
他の人の前では絶対見せる事のない、素の笑顔をのぞかせる総二郎を目にした途端、つくしの涙腺は決壊した。
西門総二郎の素の笑顔を拝めるのは、つくしの特権だ。
あのF4にすら見せない笑顔を、自分にだけは見せてくれる。
それはきっと、総二郎にとって自分は特別な存在だから。
信頼して心を預けられる、安心な場所だと思ってくれてるから。
だから総二郎は、自分に素の笑顔を見せてくれるんだとつくしは思っている。
そう思わなければ、自分の足で地に立っていられないから。
強く生きていけないから。
一人の母として、女として。
不器用な生き方だけど、自分にはそれしかないから。
だから今まで踏ん張ってこられたんだ。
と、つくしは自負している。
そんな彼女の心情を汲み取ったのか、総二郎は笑顔を浮かべたまま彼女の腕を引っ張ると、横抱きにしてその肩に手を回した。
「くくっ」
「?」
「あれが伝説のボディブローか」
「へっ?」
「司のヤツ、よく喰らってたもんな。牧野のボディブロー」
「なっ!?」
「嬉々としてお前のボディブローを喰らってたけど、司ってマゾなのか?」
苦笑いしながらそう口にした総二郎は、空いている片方の手で自分の腹をさすった。
そんな総二郎の姿に思わず吹き出したつくしは、躊躇いながらも腹をさする彼の手に自分の手を重ねた。
「ごめんね。痛かった?」
「ああ」
「ごめんね」
「ああ」
「・・・相変わらず綺麗な手」
「ん?」
「繊細で傷付きやすいけど、大きくて温かくて・・・安心できる手」
そんな事を言いながらつくしは総二郎の手を握ると、そのまま自分の頬にもっていき、彼の手をそっと押しあてた。
ずっとずっと、求めていた愛しい人の温もり。
どんなに強がっても、頑張っても、心の何処かでは常にこの温もりを欲していた。
「この温もりは、私を私らしくしてくれる」
「そうか」
「生きる勇気や希望をもたらしてくれる・・・私の大好きな手」
「手、だけか?」
「へっ?」
「大好きなのは俺の手だけなのか?」
「えっと・・・それは・・・」
「俺は牧野の全てが好きだし愛しいし大切だけどな」
「なっ!」
「この気持ちは俺の一方通行か?答えろ、牧野」
「それは・・・その」
「答えてくれ。じゃないと、俺達は前に進めない」
大事なのは、言葉よりも行動だ。
それは総二郎にも分かっている。
しかし、二人の関係を確固たるものにする為にも、ケジメをつける為にも、何か区切りが必要だ。
想いを口にする事により、覚悟を決められる。
自分の本当の気持ちに、真正面から向き合える。
言霊に宿る力は馬鹿には出来ない。
そう総二郎は考えていた。
「たかが言葉、されど言葉だぞ?牧野」
「・・・うん」
再度、言葉を促した総二郎に、つくしは頬を伝う涙を拭う事なくはっきり自分の想いを告げた。
「今でもずっと西門さんが好き。大好き。西門さんがいてくれたら、それだけでいい。いてくれるだけで幸せだから」
「俺だけじゃなく、子供も・・・だろ?」
「!?」
「俺とお前と子供の三人が一緒なら、日々楽しく幸せに過ごせる。違うか?」
「ううん、違わない」
「じゃあ、決まりだな」
ベタなセリフだけど、三人で幸せになろうな。
そう言い放った総二郎に、つくしは何度も頷いた。
そんな二人の耳に、
「ちょっと。私がいる事を完全に忘れてるでしょ、二人とも・・・じゃないわね。つくしちゃんは兎も角、総二郎君が私の存在を忘れるはずないわね」
溜息混じりの声が届いた。
その声に驚き振り返ると、そこには、
「ゆ、夢子さん!」
「・・・ふっ」
呆れ顔をしながら二人を見つめる夢子の姿があった。