「正直に言うと、認めるのが怖いんです」
「怖い?それは、牧野さんを好きだと素直に認める事が怖いという意味ですか?」
「はい」
認めてしまえばきっと、求めてしまう。
牧野つくしの心も身体も、そして人生までもを。
そうなるときっと、何もかもが欲しくなりワガママになる。
だから意図的に、自分の気持ちに目を背けているんだと、総二郎は自嘲気味に話した。
「俺にはゼロか100しかないんです。中間がない」
「ゼロか100?」
「はい。牧野を取れば西門を棄てる事になるし、西門を取れば、牧野を永遠に諦めなければならなくなる。両方得る事など無理だ」
「そうですね」
「茶道を取り巻く環境は大嫌いだけども、別に茶道が嫌いな訳じゃない。むしろ好きなんです。だから、踏ん切りがつかない」
「牧野さんを選ぶという事は、茶道から離れる事と同義ですから当然です。西門を名乗れなくなると同時に、茶道に一切関われなくなるでしょう」
御家騒動の芽となるものは、最初から摘み取らねばならない。
もし将来、総二郎とつくしが結婚し子供が出来たとして、その子供が西門流の跡目を継ぎたいと言い出したらどうなるか。
そんなものは火を見るより明らかだ。
当然の如く、西門流は揺れに揺れる。
だから西門宗家では、直系だろうが傍系だろうが、茶道と関わりのない人生を歩む場合は、絶対に茶道で生計を立ててはならないし、西門を名乗る事も許されない。
厳しい決まり事ではあるが、無用な争いを避ける為にも至極当然の事であった。
「総二郎さんのお気持ちは分かりました。確かに今の状況では、どちらか一方を選べというのは酷な話かもしれませんね」
「・・・」
「でもやはり、総二郎さんには行ってもらいたいのです。この演奏会に」
「・・・何故」
「?」
「何故、それ程までに牧野にこだわるんです?その理由をお聞かせ下さい」
まるで、つくしを我が子のように気にかける家元夫人の様子に、違和感しか覚えない。
一体、自分の知らないところで何があるのか、何があったのか、それを教えて欲しい。
そう訴えかけてくる総二郎に、家元夫人は軽く深呼吸してから事の真相を話し始めた。
「私には、幼き頃より将来を約束した方がおりました。親同士が決めた縁組みではありましたけど、私もあの方も慕い合っておりました」
「縁組みって・・・家元夫人には婚約者がいたって事ですか」
「そうです。あの方と一緒に過ごした時間は、それはそれは夢のように楽しく、幸せだった。このまま何事もなく、あの方の元へ嫁ぐものだとばかり思っていました。それなのに、ある日突然───」
当時の西門流大宗匠と当代が、何の前触れもなく突然家にやってきて、帯封のついた札束を山のように積み上げながら、一方的にこう言ったという。
「お宅のお嬢さんを西門流の家元夫人にしたい。だから、男とは縁を切ってくれ。この金は手切れ金として、男に渡して欲しい・・・と」
「ジィさんとオヤジが!?」
「ええ」
当時、総二郎の父親である家元は妻を病で亡くしたばかり。
喪中どころか忌中の最中(さなか)、縁談を持ちかけてくるなど常識では考えられなかった。
「まだ幼い祥一郎さんに母親が必要だと言う事は分かります。ですが、忌中にその様な話をするなど言語道断。先妻さんに失礼だし、そもそもが非常識です」
「それで?」
「当家が貧しているからといって、馬鹿にしないでもらいたい。お金でものを言わせるつもりですか!?娘はもうすぐ、許婚と結婚します。娘の幸せの邪魔をしないで下さい・・・と、毅然とした態度で父が断ってくれました」
家元夫人の実家は、歴史を遡(さかのぼ)れば国母を何人も出した名家である。
しかし、明治維新により環境は激変。
当時の当主が、甘い言葉で近付いてきた得体の知れぬ人間に騙され、馴れない事業に手を出し失敗。財産は底をついた。
「代々の屋敷もその時、売り払われたそうです。ですから、零落した実家に残っているのは、歴史ある家系図と平安期に帝より下賜された龍笛のみ」
「屋敷が売り払われた?えっ、いや、しかし、オフクロ・・・家元夫人の実家は、敷地も広くて建物も立派ですよね」
「あれは、西門流の先代が用意した屋敷であって、代々受け継がれてきた屋敷ではありません」
「ジィさんが用意した!?」
「あんな家、私にとっては監獄も同然」
拳を握りしめ、眼光鋭く宙を睨んだ家元夫人は、その当時を思い出したのか、静かな怒りを露にした。
「西門に嫁がなければ、婚約者やその家族はもちろんの事、実の親や弟の安全は保証できない。大事な人たちが不幸になってもいいのか・・・そう脅されたら、従わざるを得ないでしょう!?ですから私は、泣く泣く西門に嫁いだのです」
「・・・」
「ですが、先代は兎も角、家元はそれだけでは満足しませんでした」
「と、言うと?」
「私の婚約者に女性をあてがい、強引に結婚させました。結婚に同意しなければ、私の身の安全は保証出来ないと脅して。おまけに、陰で私達が接触しないよう、四六時中見張りまでつけて」
西門に目をつけられた時から、私の人生は狂い始めた。
まるで、奈落の底に突き落とされたかのよう。
深くて暗い、先の見えない底。
もがいてももがいても、脱け出す事が出来ない。
そう話す家元夫人の瞳はわずかに揺れ、濡れていた。
「あの方が若くに亡くなられ、私の心は死にました。生きていく糧を失ったのです。ですが・・・」
「・・・」
「あの方には娘さんがいる。それを知った時、一筋の光が射し込みました」
「一筋の光?」
「私の血を引く総二郎さんと、あの方の血を引く忘れ形見の娘さんとの結婚です」
「娘?」
「家元が目を光らせていたので大っぴらに動けませんでしたが、私にもそれなりに伝手はあります。ですから、あの方に関する情報は得ていました」
元婚約者が亡くなった事だけは家元から知らされたが、それ以外の情報は与えられなかった。
だから家元夫人は、家元に悟られる事のないよう慎重に動き、最低限の情報を得ていたのだ。
「端的に申し上げます。あの方の娘さんは、牧野つくしさんです。牧野さんの存在を知り得たと同時に、その事実を知りました」
「なっ!?」
「ですが、どの様な経緯で『牧野つくし』となったのかまでは分かりませんでした」
「はっ?それはどういう・・・」
「牧野さんの本当の名前は『清辻篤子』さんと言うのですよ」
「きよつじあつこ?・・・では、牧野とあの家族は赤の他人だと?」
「ええ。清辻家の娘を利用する為に、あの方に近付いたんでしょうね。その辺りの経緯は私には分かりませんし、家元も把握していないと思います」
ですが、何らかの方法で牧野つくしさんが清辻家の娘だと知ってしまった。
だから家元は、牧野さんに関する情報を私の耳に届かないようにしていたんだと思います。
清辻の血を西門に入れようと、私が画策しない様に。
そこで言葉を一旦切った家元夫人は、ふうっと一息吐いてから言葉を続けた。
「この琵琶奏者が牧野つくしさんだという事に、家元は気付いておりません。牧野さんが亡くなったと聞いて、安心しきっているのでしょう。彼女の今の名前は、清辻でも牧野でもありませんしね」
「では何故、家元夫人はこの琵琶奏者が牧野だと知ったんです?」
「牧野さんが師事する琵琶奏者の演奏会に行った時に・・・ね」
そう話しながら軽く首を振った家元夫人は、自分をじっと見つめる息子の総二郎に再度、平家琵琶の演奏会チケットを差し出した。
〈あとがき〉
どんどん収拾がつかなくなってきてる・・・。
ここからどう三角関係に発展していくのか。
想像以上に、総ちゃんのターンが増えてしまった。
総ちゃん、家元夫人が味方というのはわかったけど
どうするんでしょう・・
琵琶奏者になったということはあきらくんの
おやごさんが絡んでいるだろうし・・・
演奏会であきらくんと総ちゃんが鉢合わせ??
ん~~~わかんないです・・・
なので、楽しみに待っています(^^♪
総ちゃん、どう動くか・・・ですよね。
派手に動けば、つくしが生きてる事が家元にバレちゃいますしね。
家元夫人が味方とは言え、どちらの道を選んでも悔いが残りそうな気が。
演奏会であきらと鉢合わせ・・・ば、バレてる(笑)
今のところ、その予定で進めてはいますけどね。
この先もどうか、お付きあい下さいませ。
中将が泣いて喜びます(笑)