運命を変える出会いとは、案外こんなものかもしれない。
品のある夫婦に連れ出され外出したつくしは、散歩中に偶然、古めかしい寺を見つけた。
お世辞にも豪華だとは言えない造りだが、手入れは行き届いていて小綺麗な寺である。
豪奢とは真逆の地味な佇まいのその寺に、つくしはひどく惹かれた。
「牧野さん、急に立ち止まってどうしたんだい?」
「このお寺がどうかしたの?」
「えっ?中に入るのかい!?」
「ま、待って!?牧野さん」
夫婦の言葉も耳に入らない。
街中の喧騒も、自然が奏でる音も同じく耳に入らない。
まるで魂が吸い寄せられるかの様に、ここに呼ばれているかの様に、つくしは足早に寺の門をくぐり境内へと歩みを進めた。
すると、そこに現れた風景は───
『祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす』
境内に作られた簡易的な舞台で琵琶を弾く老齢の女性と、年季が入った縁台に座る数人の聴衆者の姿だった。
静寂(しじま)の中に響く声。
撥(ばち)で琵琶の弦を弾き音を奏で、この場にいる者達を一気に物語の世界へと引きずりこんでいく。
『おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢の如し
たけき者も遂には亡びぬ ひとへに風の前の塵に同じ』
栄華におごる人も、それを長く維持は出来ない。
勢い盛んな人も、遂には亡びる。
演者の老齢女性が琵琶の伴奏でそう語る物語に、つくしは無意識のうちにのめり込んでいった。
知識としては知っていても、実際耳にする事など一度もなかった。
耳なし芳一の話は知っていても、平家物語については内容まで把握していなかった。
この演者が語る平家物語をもっと聞きたい。
この演者が語る平家物語をもっと知りたい。
この演者が作り出す世界に、自分も足を踏み入れてみたい。
そんな欲望がつくしの中に芽吹いていった。
しかし、外出時間は限られている。
そろそろ病院に戻らなければならない。
最後まで聴いていたいが、そういう訳にもいかないのだ。
もどかしさを感じつつ、つくしは後ろ髪ひかれる思いでこの場を後にした。
そんなつくしの姿を目にした夫婦は、互いに顔を見合わせ小首を傾げつつも、彼女と一緒に病院へと戻って行った。
そして、外出許可申請書に記した時間内に病室に戻ってくると、
「ケーキを切り分けるから、三人で食べましょう」
婦人がそう言い出し、いそいそとケーキを切り分け始めた。
そんな婦人の姿を目でぼんやり追いつつも、思い返されるのは、先程目にした老齢の琵琶奏者の姿だ。
凛とした佇まいに独特のオーラ、撥(バチ)で弦を弾いただけで聴衆者を自分の世界に誘う技量。
それら全てに、つくしは魅せられてしまった。
もっとあの世界に浸りたいと思った。
勿論、そんなつくしの変化に気付かぬはずもなく、
「あの琵琶奏者が気になるのかい?」
「!?」
微笑を浮かべた紳士が、つくしにそう訊ねた。
しかし、つくしは貝のように口をつぐんで何も話さない。
それを百も承知の上、紳士は更に言葉を続けた。
「祇園精舎の冒頭部分は、いつ聴いても身につまされるよ。たけき者も遂には亡びぬ、これは肝に命じておかなければならないな」
「・・・」
「今日聴いた祇園精舎は、特にそう思わされた。本当に素晴らしかったよ。あの奏者が語る平家物語は」
「・・・」
「やはり気になるようだね、あの奏者の事が。そんなに気になるのなら、あのお寺に行って奏者の名前を聞いてこようか」
紳士が放ったその言葉に、つくしは右目を輝かせ思わず力強く頷いた。
が、心を閉ざし未だに一言も言葉を発しない自分が、そんな図々しい願いをするのもお門違いだろうと思い至り、弱々しく首を横に振った。
いや、そもそも左目の光を失う原因を作ったF4の親に、自分が遠慮する必要なんてこれっぽっちもない。
むしろ、何でも要求してやればいいのだ。
一瞬、そう開き直ってはみたものの、それをすると借りを作ったみたいで、自分の矜持が許さない。
そんなつくしの心の葛藤を見抜いた紳士は、
「ママの手作りケーキを食べた後、あのお寺に行って聞いてこよう」
そう言いながら、婦人から受け取ったケーキを口に運んだ。
と同時に、病室の向こう側から来訪者を告げるノックの音が、室内に響き渡った。
「誰か来たようだね」
「そうね。私、見てくるわ」
「いや、ママは牧野さんの傍にいなさい。私が応対しよう」
そう言いながらケーキ皿を婦人に手渡した紳士は、優雅な足取りで病室の出入口まで向かうと、扉の引戸を少しだけスライドさせ来訪者の顔を確認した。
すると、
「あきら!?」
「親父!!」
扉の向こう側にいたのは、F4の一員である美作あきらであった。
〈あとがき〉
やっと、あきら登場です。
この後、どんな展開になるのやら・・・。