
言葉って難しい。
例えば、『苛立ち』は恥ずかしい事でしょうか?
そう思われていたなら、きっと、皆苛立つ心を封じ込めてしまうでしょう。
心を開かなくなる事でしょう。
『過言』・・・と言う表現は受け取る側にとっては傲慢とも。
「やってあげてるのだから。」とも受け取れる。
今私達の地域は、出来る限りの力で経済を回そうとしています。
ありがたい事に、度々繰り返す余震と、見えない空からの怪しい侵入者以外は
普通に日々が過ごせるようになりました。
良い行いをした時は自分だけが心得ていれば良い。
むやみやたらと他言するものではない。
・・・これは母の教え。
でも、個々の性格にもよりますね。
自分自身、何気に使った言葉で読む側の誰かを傷つけてはいないか。
この表現は傲慢ではないか。
震災を機に深く考えるようになりました。
あ・・・でも変わらずの天然者ではありますが^^
思いやる心を伝える・・・心地良く相手に伝える・・気配り。
そこには感性が大きく関わるのでしょうね。
・・・日本語ってやはり難しい。