迷子中の赤ずきん。
ここはどこですかぁ?
誰もいないのですがぁ?
ここは勝手に入ってよかったのかな?
誰かいませんかぁ?
また怒られそうで恐いなぁw
(ノ´▽`)ノオオオオッ♪
何やら絵が描かれたふすまが見えていました。
撮影禁止って書いてないにょ~^-^
(^・ω・^).....ンニュニュ?
やっと人発見。
行ってみます。
真然大徳のお墓のようです。
延歴23年(804)讃岐国に御誕生。弘法大師御入定(承和2年3月21日)後、
30歳の若さでその遺告を受け継ぎ五十有余年の歳月をかけて瑜祇塔、弥勒堂、真言堂、准胝堂、鐘楼の諸堂、
また、弘法大師の悲願でもあった根本大塔や西塔を完成されたそうです。
こんな奥まったところにあったのですねー
なんども高野山へは来ていたのですが、初めてですね、真然様のお墓を目の当たりにするのは。。。
あれれ?
何かが動いています。
なんだろう?
鳥が美味しそうにお供え物を食べていました。
ひよどりかな?
稚児の間などの部屋を色々見てから出てきたのがここ、台所のようなところ。
台所だと思うのですが、広すぎてよくわからずw
炊事場
綺麗な水が沢山貯められていました。
竈
こんな規模の竈は見たこと無いなぁ。
お隣の部屋。
居間みたいなところかな?
食物保管庫
二石釜
この3つの釜で一度に二石、約二千人分のご飯が炊けるそうです。
凄い@@
金剛峰寺から出ました。
表からは想像できないくらいの広いところでした。
金剛峰寺への参道を下りて行きます。
参道にずっと置かれている水桶は、穢れを落とす効果があるそうです。
先程の参道を右へ曲がってすぐ、この六時の鐘があります。
伽藍の入り口の高い石垣にある鐘楼は、福島正則公が父母の追福菩提を祈って、元和4年(1618年)に建立されました。
福島候といえば、豊臣秀吉と柴田勝 家(かついえ)との戦いで、賤ヶ岳七本槍(しずがたけしちほんやり)といわれた、豊臣家きっての勇将でした。
寛永7年(1640年)に、正則の子である正 利によって再鋳されましたが、その鐘銘がかなまじり文であることで有名です。
現在でも午前6時より午後10時まで、偶数時に時刻を知らせています。
ちょうど鐘が鳴る時刻だったので様子を見ていると、誰もいないのに勝手に動いて鐘を衝いていたw
もうロボットで衝く様になっちゃっているのかな?
たまたま人が見えなかっただけだろうか・・・。
赤ずきんが数年前に見た時は、ご老人が衝いていたのを見て、いつもご苦労様と心の中で呟いていたものですが、、、。
何時からなのか、ずっとそうなのかなわかりませんが、朝六時から夜の十時まで二時間おきに鐘を着く作業は大変ですもんね。
いろいろな事情があるとは思いますが、時代の流れを感じた赤ずきんでした。
次回からは一の橋から奥の院へと続く道を歩いて行きます。