tarohanaきままな記録

わんこ3匹毎日頑張る!

早いもので

2016-12-15 22:02:57 | じいの病状日記
父と同時期に亡くなった、竹田圭吾さんの奥様に宛た手紙のニュースを読みました。
泣けました。

今日も母の通院で、父が最期を過ごした病院にいました。
一年前を想います。
まだ、もう会えないんだ、なんて思っちゃいます。
もっともっと気持ちを分かってあげればよかったのにと思ってしまいます。

時々思うのは、アリムタで腫瘍マーカーが上昇した時、抗がん剤を変えていたら、もう何年か、一緒にいれたのかなということ。
O先生は、アリムタに変えた時、まだまだ抗がん剤はあるからと言っていました。
あのまま担当医師を変えずにいたらどうだったろう。
マーカーが上がった時点で積極的に抗がん剤を変えることを提案してくれたかもしれない、そう思うことがあるんです。

担当医師と意思の疎通ができてるか、大事だと思います。

今戦っている方が、最善の治療方法を選択できる状況下にいること、祈ってます。

1年

2016-10-21 00:09:44 | じいの病状日記
1年前の今日、緩和ケアに初めて受診。
もう1年も経つんだと母とふたりで最期の時を思い出しました。
亡くなる時、私は何にも感じなかった。その後も会いたくて、会いたくてつらいのに、父がそばにいるように感じることがまったくなかった。それがなんだかすごくマイナスに自分では感じて、うまく表現できないけど、そうだな、さびしい?感じかな。
母は、きっと好きなことやって逝ったから、未練がなかったんだよって言う。
そうかな。満足して逝ったのかな。
そう思うことにします。

最近はワンコと散歩中に、空を見上げて話しかけてます。
きっと見守っててくれると思って。


緩和ケアではよくしてもらいました。
下半身がまったくダメになった父も、入院後、こんなによくしてくれるんだと驚き、喜んでました。ガンセンターでは手術の後も病室がころころ変わったり、空き待ち状態で退院をせかされたり、落ち着いて見てもらうという感じではなかったから、病院が嫌だったのです。
だからよくよく動けなくなるまで入院を拒んで。
まったく歩けなくなってから入院までの2週間は家族総出で付き添いました。
排泄が一番大変で孫ふたりがかりでポータブルトイレに移し、またベットのオムツの上にのせる。孫が男の子でよかった。私と母ではかなりの負担だったでしょう。
床擦れ、浣腸、どれもこれも初めてのことで本当に大変だった。
老々介護のニュースを耳にすると、その大変さを想像して苦しくなります。

緩和ケアの病室はワンコ同伴O.K. だったのでモコは何度もいきましたよ。
担当の看護師さんは明るく少し強引なかたで、でも人前で控え目な父には合っていたみたいで、いつもきれいにひげを剃ってもらってました。
もう治療はないので先生方には何の印象もありませんが、看護師さんたちには感謝してます。
最期をあそこで見てもらって、本当によかった。私も母も心からそう思ってます。そしてきっと父も。


まだまだ立ち直れない

2016-05-18 21:23:28 | じいの病状日記
ずいぶんご無沙汰してしまった。
書けなかった。忙しかったし、まず気持ちが向かなかった。
父は今年の1月30日、逝ってしましました。
メモ書き程度に記録を残したので。
8月6日 43回目のアリムタ
9月1日 夜、苦しくて眠れないと。救急車を呼ぼうといったが大丈夫と言う。
9月2日 がんセンターへ電話し、病状を伝え、急遽病院へ  心臓に水がたまっている。 
    立っているのが信じられないと、看護師さん 即入院
9月4日 急遽手術。心臓ドレーン手術 全身麻酔  腎臓、肝臓すべての臓器が機能できず 
9月10日 ケアマネージャーくる
9月11日 病状落着き、退院
9月17日 介護申請開始  床屋へ。
9月25日 抗癌剤止めることに。 最終宣告 がんセンターさよなら  病院行く前に杖を買う
9月30日 市の介護職員が状況確認にくる。
10月13日 手すり工事見積もり
10月21日 緩和ケア科に受診
10月30日 手すり完成
11月4日 病院 立てない 車から降りるとき崩れ落ちる。 緩和ケア病棟見学
11月6日 車いす届く  今日から仕事時短に、4時40分上がりとする。
11月7日 電動ベット届く
11月11日 病院の看護師に家での介護について相談。
11月18日 緩和ケア病棟に入院
11月29日 肺炎をおこし、年内もたないかもと言われる。
抗生物質が効き、肺炎を乗り越える。
ステロイド剤投与開始
食欲戻る。ただこの効果も1、2か月だと伝えられる。
12月30日 病院に泊まる。  麻酔剤投与の件、伝え同意得る。
1月21日 もう危ない いざというときに麻酔剤を打つことの確認をされる。

1月22日 麻酔剤開始
1月26日 最後の言葉 「しかたない しかたない もうちゃん もうちゃん」
いつ急変するかわからないからできれば泊まった方がいいかもと担当医から言われる。
1月27日 看護師さんから電話あり、まだ泊まらなくてもいいと言われる。
1月28日 最後の見舞 目あかず
1月29日 看護士さんから節分くらいまでもつかなという話をされる。
1月30日 急変、誰も間に合わず1人で逝く  


あわただしく葬儀を行い、3日休んだだけで仕事に戻った。
前から心の準備をしていたし、8年にわたる闘病生活だったから、覚悟ができてると
かってに思っていた。
いまだに父の死を受け入れられない。

この8年、父は1人でがんと闘っていたのだ。
私は理解しているようでまったくわかっていなかった。
不安、恐怖、いろいろな思いがあっただろう、私たちのために抗がん剤と闘って、
家周りのできる限りのことをやり、畑で野菜をつくってくれた。
亡くなってから、父のこころの中を想像して悲しくて、つらくて仕方ない。
休みの前日は友人が送ってくれた木蓮の涙を聞いて、1人で泣いてしまう。
それがまだずっと続いている。

思い出がある?

わからない。




43回目のアリムタ

2015-08-06 10:44:29 | じいの病状日記
4日は病院。
歩くのが大変なので、休みの孫の車で病院へ。
後から診察時間に間に合うように、母と病院へ。
レントゲンも血液検査の結果もかわりなく、43回目のアリムタ。
すごいねと、先生。マーカーの値も、また下がっていて、70. 6。
まったくどうなっているやら。
いつまでアリムタが効いているんだか。

 ただ体力の衰えは間違いなく、あれだけいつも
キレイにしていた畑は雑草だらけに。
耕運機で掃除していたのだが、その耕運機を押して歩いていくことが、
出来なくなりました。
トマトとなすのあたりを残して、とうとう除草剤を使うことに。
畑を返す秋まで、なんとかキレイにしておきたい、それだけが
気がかりのようです。

42回目のアリムタ

2015-07-07 23:58:23 | じいの病状日記
検診日
タイトル通りアリムタ、ランマーク投与してきました。
マーカーの値は75.5。下がってる!
血液検査の結果は問題なし、レントゲンも前回と
かわりなし、42回目やりましょう、
こんなに長くやってるのは珍しいねと、先生。
私達も驚いてます。

 実際の今の父は、徒歩10分の駅へも
歩けず、すっかり体力が落ちたおじいさんです。
今年返すことを決めた畑、最後のじゃがいも掘りは
体力なくできず、私と母でやりました。
空豆、玉ねぎ、じゃがいも、トウモロコシ、枝豆。
それぞれ最後の収穫も終わり、残っているのは、
すいか、トマト、なす、キュウリにピーマンくらい。
ここのところの雨ですいかがどうかな。
 歩くと痛くなるといってほとんど動かないでいるが、
どうなのか?少し無理しても動いた方が、体にはよいのではないかと思うのだが。
 少しでもいい状態でいてくれればと願うだけです。