父と同時期に亡くなった、竹田圭吾さんの奥様に宛た手紙のニュースを読みました。
泣けました。
今日も母の通院で、父が最期を過ごした病院にいました。
一年前を想います。
まだ、もう会えないんだ、なんて思っちゃいます。
もっともっと気持ちを分かってあげればよかったのにと思ってしまいます。
時々思うのは、アリムタで腫瘍マーカーが上昇した時、抗がん剤を変えていたら、もう何年か、一緒にいれたのかなということ。
O先生は、アリムタに変えた時、まだまだ抗がん剤はあるからと言っていました。
あのまま担当医師を変えずにいたらどうだったろう。
マーカーが上がった時点で積極的に抗がん剤を変えることを提案してくれたかもしれない、そう思うことがあるんです。
担当医師と意思の疎通ができてるか、大事だと思います。
今戦っている方が、最善の治療方法を選択できる状況下にいること、祈ってます。
泣けました。
今日も母の通院で、父が最期を過ごした病院にいました。
一年前を想います。
まだ、もう会えないんだ、なんて思っちゃいます。
もっともっと気持ちを分かってあげればよかったのにと思ってしまいます。
時々思うのは、アリムタで腫瘍マーカーが上昇した時、抗がん剤を変えていたら、もう何年か、一緒にいれたのかなということ。
O先生は、アリムタに変えた時、まだまだ抗がん剤はあるからと言っていました。
あのまま担当医師を変えずにいたらどうだったろう。
マーカーが上がった時点で積極的に抗がん剤を変えることを提案してくれたかもしれない、そう思うことがあるんです。
担当医師と意思の疎通ができてるか、大事だと思います。
今戦っている方が、最善の治療方法を選択できる状況下にいること、祈ってます。