ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

オリンピックのあとに残るもの

2021年02月17日 | 沈思黙考

(本稿執筆時点で)五輪組織委は新しい会長を選任するようだが、辞任した人物も周辺の人たちも結局なにも学習できなかったようだ。大会実施の有無にかかわらず東京五輪はさらなる問題を発生させながら、国家的失敗プロジェクトとして五輪史と日本史に汚点を残しそうな気さえしてきた。しかしその混乱をも踏まえて我々は、今後の日本をどうしたいのかを自分の頭で考え、出来ることをやらねばならない。

オリンピックとその周辺

前回に続き、東京オリンピックに絡む問題を軸にして話を起こしていく。
そもそも筆者自身は、今回の東京オリンピックの開催に関して積極的に賛成や反対というよりも、周辺の問題も含めてどう考えたらいいのだろうか、という点に関心や疑問がある。

ひとつは、オリンピックに限らずこういった大イベントをぶち上げて経済を活性化させようという発想が、果たして「超高齢・人口減少社会」の日本にとって意味のあることなのかどうか。

また、スポーツ団体には以前から少なくない税金が投入されているけれども、彼らアスリートの一部が引退後に、政党の議席数確保要員として、またもや税金でメシを食い続けるという構造をどう捉えるべきなのか、といったことである。

皆が考え続け、皆が発言し続けることが大切

今回の問題で辞任した前会長は皆が予想した通り、そしてその態度や言葉の端々が明示したとおり、反省や謝罪の気持ちは持っていなかった。さらに五輪組織委もこれまでどおり、「組織人」として変わらず仕事を続けていくようである。
しかしこういった構図は日本社会のあちらこちらに見られる。

良くも悪くも強いリーダーシップを持った人物に付き従ってしまう人たちには、おそらく「チカラのある人、能力の高い人が上に立って引っ張ってくれれば物事は良い方向へ行くはずだ」という発想があるのだろう。確かに言葉の上だけで考えれば間違っていなさそうである。
しかし、そこに「おまかせ精神」とか「思考停止」、そして「沈黙」が横たわっている危険性がないか、我々は十分に注意しておかなければならない。

なるほど、チカラや能力のある人がリーダーとなった方が、事情も知らず全体観も持ち合わせていない人物がやるよりいいことは間違いない。しかしそのことと、フォロワー(付き従う人々)が何も考えず、議論もせず、発言もせずでいいということでは決してない。
たとえ時間がかかったり手続きが面倒だったりしても、参加する皆が自分の頭で考え、議論し、意見を言うというのが本来の民主的、民主主義的な人間集団のありようなのだ。
それは確かにシンドイことではあるけれど、これをサボっているとやがては後戻りできない悲惨な社会に至ってしまうということを、歴史を振り返りながら世界を見渡しながら、我々は意識し直さなければならない。

ただし今回の東京オリンピックに関してだけ言えば残り時間との戦いである。開催する・しないに関わらず、目標を決めたうえでそこへ向かって為すべきことを為すための時間を最大化する必要がある。それは、より良い結果を得るためというよりも、弊害を最小限にするための仕事にならざるを得ないからだ。
本稿執筆時点で新しい組織委員会会長は、現在の五輪担当相の女性に決まったかのような報道があるが、おそらく誰もやりたがらないヨゴレ仕事を引き受ける人物には、相当のプレッシャーがかかることになる。

大祭りとムダな議員定数

そもそもこの大会は、(少なくとも表向きは)東日本大震災からの復興をテーマに、そして新しい人類のあり方をも意識しながら、高邁な気概を持って招致してきたはずだ。
しかし実際のところ、会長辞任劇によって象徴的にあぶり出されたものは、タレントのお気楽な5文字キャッチフレーズとは裏腹に未熟な国民性だった。

革命的なことでも起きない限り、人口減少と超高齢社会はこれまでどおり加速していく。それなのに必死にそこから目を背け、意識を背けて生きていこうとするならば、戦前とはまた違った形で暗い社会へ滑り落ちていくだろう。
もう、国家的大祭りをやっている時代ではないのではないだろうか。
たとえ巨額のカネ(や仕事)が動いても、それが一部の権力者、大企業の内部留保、倫理とは程遠いマネーゲーマー、個人保有株式の72%を占める高齢者たちをムダに富ませるだけであれば、必ず日本は荒廃する。

そして、かねてから筆者が主張してきた「ムダに多い国会議員」である。
参議院の必要性も議論に上がったりするが、とにかく日本の国会議員の数は多すぎる。人口対議員数でいえば、日本はアメリカの2〜3倍ほどの議員たちを養っているといわれる。政党助成金も入れれば議員一人あたり年間約2億円のコストがかかるというから(※1)、ここに問題意識を持たないとすれば「おバカな日本人」と言われても反論できない。

そうしてムダに議員定数が多いために、わけのわからない人物が議員になっておかしな発言をしたり、やらかしたりすることになる。
スポーツ出身にしろ芸能出身にしろ、現役を退いた後にそのネームバリューだけで、政党のオヤジたちの言う事を聞きつつ、議席確保要員として長年税金でメシを食っていける構造は、やはり異常ではないだろうか。

さいごに

女性、そして子どもたちをも含めて自殺が増加している日本では、株価は1年間に2割以上も上昇し3万円台にまで乗った。昨2020年(CY)の実質GDPはマイナス5%程度だろうと言われているのにもかかわらずである。
いま日本社会はおそろしく異常なところにあるということを、正常な感覚の日本人ならしっかりと認識しておかねばならない。

筆者は、高度成長期に開催された東京オリンピックとは異なる、この時代のオリンピックを(少しだけ)期待していたが、やはり今回も20世紀の残滓(ざんし)を引きずったままの2021年日本に付き合わされることになりそうである。

2020東京オリンピックは国家的泥沼プロジェクトの好例として、かつてのIJPC(※2)のように、ハーバード・ビジネス・スクールの新たな教材となるかもしれない。もしそうなれば、関連した企業たちは一切の関係資料を隠すはずだから、今のうちからそういった情報を調査・整理しておくこともジャーナリズムの使命かもしれない。

オリンピックの後に残るもの。
それがどんなに無様(ぶざま)なものであったとしても、新しい時代を切り開くきっかけとなるものであってほしい。

※1
国会議員のフトコロに入るのは年間8,000万円近く。
月額129万4,000円の歳費(月給)は年間にすると1,552万8,000円。ほかに期末手当(ボーナス)の6百数十万円が加わるから、年間基本報酬は約2,200万円近くにもなる。
それだけではない。政務活動費(文書通信交通費や立法事務費など)やその他の経費を含めると年間8,000万円近くになるわけだ。
さらに当然、黙っていても周囲が喜んで「激励」「応援」「付け届け」「差し入れ」「ご挨拶」「お車代」など、ありとあらゆる名目で「モノ、カネ、便宜」を忖度(そんたく)されてしまう環境だ。
政治を弄(もてあそ)んでメシが食えるものだから、子や孫へ継承してやりたくなるのだろう。

※2
【IJPC】 イラン・ジャパン石油化学(Iran-Japan petrochemical)。
石油を採掘する段階にまで商売を拡大しようとして、日本の商社を中心にした企業たちがイラン・ロレスターン州の採掘権を獲得した。そしてこのときの付帯条件として石油化学コンビナートをイランに作ることとなった。
ところが穴を掘っても石油は出ず、おまけにそれまで王国だったイランに革命が起きてしまい(パーレビ国王→ホメイニ師)、コンビナートも爆撃を受けるなどして、成果を出せないまま撤退するという踏んだり蹴ったりのプロジェクトとなった。
ハーバード・ビジネス・スクールにおいてカントリー・リスクを論ずる際、失敗プロジェクトの典型例として教材になっているらしい。
女性参画が進んでいない国や地域は、カントリー・リスクが高いと言うことになるのかもしれない。


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