ここ十数年ほどの間に、居酒屋を訪ね歩くTV番組が増えてきた。筆者も居酒屋は好きなのだが、今日は酒や肴ではなく、居酒屋という店そのものについて、以前から考えていたことをまとめてみたい。
居酒屋めぐりのTV番組
話の前提として、ここでいう「居酒屋」には、繁華街などでよく見かける大規模チェーン店だとか、システム化された形態の店舗は含めない。
そこには店の人とのコミュニケーションや、居合わせた客同士のコミュニケーションは想定されていないからだ。短期雇用された従業員が、決められた手順で仕事をする、いわば収益システムとして作られた店舗は対象外である。
つまり、個人経営の小規模独立店舗が対象だ。
さて、居酒屋というものに世間の関心が集まるようになってきた大きな理由は、おそらくTV番組だろう。個人的にはBS-TBSの「吉田類の酒場放浪記(出演:吉田類)」、BS11の「ふらり旅 いい酒いい肴(出演:太田和彦)」を挙げたいが、このあたりは人によって好みやこだわりがあるかもしれない。しかしこれらの番組の人気の高まりもあって、ここ数年で各局が、少し毛色を変えた同系番組を制作するようになってきたことは、まず間違いないだろう。
吉田、太田どちらも単一の番組だけでなく、期間を経てアレンジされてきていたり、新たに派生番組が出来たりするほどの人気を得ているが、ここでは上記の2番組を比較してみる。
そもそも中高年の男性が、ただ居酒屋で飲んでいるだけでは番組としては成立しない。しかしこれらの番組では、出演する人物の豊富な経験などに裏付けられた知識、酒にまつわる多くの著作、独特のキャラクターの魅力もあったりして、居酒屋の奥深さを立体的に感じることができる。だいたい二人ともただの中高年ではなく、アーティストとしても活躍している人物だ。
どちらの番組も、酒肴を調え料理を作る手元にも触れるし、またロケに訪れた街を紹介する部分が冒頭に入れられたりして、ちょっとした料理番組、旅番組としての要素も備えている。
吉田類の番組と太田和彦の番組を比較した場合、吉田の方はより庶民的であり、太田の方はややオシャレな仕上がりとなっている。
吉田の番組では、「家族経営の下町居酒屋」といった雰囲気の店を訪ねるあたりが、真骨頂といえるだろう。いわゆる「赤ちょうちん」である(吉田は「あかぢょうちん」と濁って発音するようだ)。
訪問先の店内では、居合わせたほかの客と乾杯するのは恒例だし、場合によっては同席して話をしたり、御相伴に与ったりさえする。飲む酒も焼酎をベースとしたものや家庭的な料理など、低価格のものも多い。入店一杯目は周囲のご常連に合わせて酒を選び、後半は日本酒へ進む。そしてロケ地は圧倒的に都内とその周辺である。
吉田のコメントはオトボケ的なものも多く、ナレーション(河本邦弘)との掛け合いのように編集しているときもある。コロナ禍で「家飲み」する人が増えているようだが、「のんべんだらり」と家で飲むとき見るには、ちょうどよい番組なのである。
基本的に15分の枠で訪問地域1か所を訪ねるものだが、いつの頃からか、過去の放送分を含めて4つ続けて1時間番組として(BS-TBSでは)構成している。
狭小な個人経営店を訪れることが多いためか、基本的にハンディカメラでの撮影であり、別撮りした酒肴や店舗内外の実景が時々入る。
全体的には「ほのぼの・下町・家族・友人・人情」といったキーワードが思い浮かぶ。
いっぽう太田の番組は、「ふらり旅」というタイトル通り、全国各地に足を延ばしている。愛用のカメラをぶら下げ、街、店の人たち、酒肴を撮影したものは、CM前に数秒挿入される。
訪れる店は比較的オシャレだったり、やや高級な店が中心だ。日本酒を燗して飲むことが多く、燗のつけ方にもこだわりを見せる。アートディレクターでもある太田の視線は、酒器や食器はもちろん、店内外の造作、建築などにもコメントがおよび、文化・歴史・芸術の香りとともに酒を楽しむ時間を教えてくれる。
撮影は、ほかの客が入店していない状態だったり、少人数で行われたりすることが多い。カメラは基本的に三脚を使用して、カッチリしたカットを撮っているし、インサートの熱燗も湯気が映えるように照明され、全体的に「画(え)作り」がしっかりとしている。音声もワイヤレスやブーム(いずれもマイクロフォンの形態)を適切に使い分けているのか、環境ノイズも気にならない。
たまにはちょっと、カッコをつけて飲みたいと思っている人にとっては、大変勉強になる番組でもある。
居酒屋・飲食店と「飛沫」
思わず、酒場TV番組の解説に熱が入ってしまった。
ところで、居酒屋を含めた飲食店については、筆者は以前から気になっていたことがある。
店舗側の人たちや客による「飛沫」、あるいは煙草の煙が飲食物にかかってしまうことだ。「飛沫」とは、平たく言えば「ツバ」である。昨今ではそこに含まれているかもしれないものも関係してくるかもしれない。
最も気になっていた(いる)ことは、小規模店舗などでよくある、カウンター上の大皿料理である。何種類もの作り置き料理が並べられており、それを見ながら選べる楽しみと、量や組み合わせをアレンジしてもらえる自由がある。
問題は、その大皿の位置とカバー(覆うもの)である。
居酒屋などのカウンター席は、客が使用するテーブル面と、その奥に一段高い「付け台」があるのが基本だ。すし屋などではここに寿司を出すので、客がとりやすいよう付け台は低くなっている。逆に客の回転率を上げたいラーメン店などでは、食べたらさっさと出ていってもらえるよう高くなっている。
居酒屋の大皿料理が並ぶのは、ほとんどの場合この付け台になるのだが、この高さが低い場合、客の飛沫が飛び込みやすくなる。
キチンとラップをかけたりして気遣いをしている店もあるが、「ほのぼの系」の店では「そのまんま」であることも少なくない。その大皿料理を挟んで店の人と、居並ぶ客たちが会話するのである。場合によっては煙草を吸う客がいることさえある。
「そんなもの、気にしていたらキリがないゼ」という意見もあろう。
確かに、どんな高級レストランだって、我々がいる空間にはホコリがいっぱい漂っているし、厳密には様々な細菌やウイルスが漂っているといえる。「普通に衛生的」であって、「普通に抵抗力のある人」でさえあれば、特段困ったことにはならない。
しかし金を出して、特にその場所にわざわざ出向いて飲食するというのは、「雰囲気」という一種の物語とでもいうようなものも味わっている。そこで、多くの人々の飛沫が飛び込み、煙草の煙がかかった料理を味わいたいという気分になれるだろうか。少なくとも私はそんな気分にはなれない。
ちなみに煙草の煙は気体ではなく微細な固体である。料理や食器にかかった場合は、微細な固体がそこに粘りついている。目に見える煙が行かなくとも、目に見えない粒子は店舗じゅうに広がっているのだ。
付け台が高い居酒屋も確かにある。しかし、入店してきた客やトイレから帰ってきた客が、立ったまま「あれがいい、これがいい」としゃべっていれば同じことである。
前述の太田和彦は以前から、こんな状況では必ず口を押えるようにしてしゃべっている。酒や料理、そして他のお客をも大切にする人なら当然のしぐさだと思う。
居酒屋・飲食店の衛生観念
家庭的なもてなしが魅力の個人経営の飲食店。
もし、家庭的な雰囲気のお店の人がマスクにフェイスガードをしていて、カウンターをはじめテーブルにはアクリル板、通路などにはビニールカーテン、そういった対策をとっているとしたら、客として複雑な気分になることは確かだ。
ランチのように食事だけして店を出るならまだしも、酒を楽しみ、会話を楽しみ、雰囲気を楽しむ居酒屋では、感染拡大防止の対策は、正直なところ興ざめである。それにハコ(店舗面積・空間)が小さいところでは、そのありよう自体がリスクになりえる。
ではどうするか。
私は店側、そして客側も「出来ることを真面目にやる」ことだと考えている。そこには気遣いも含まれる。
具体的な策をここでいちいち挙げたりはしないが、出来ることをキチンとやっているということそのものが「店の味」ですらあると思うし、そこに入る客の、酒飲みとしての矜持でもあると思う。
そして付け加えるとすれば、出来る対策をやらない人、何らかの事情でできない人を一概に非難しないという寛容さも持ちたい。
両者は矛盾しているようだが、結局のところ「バランス感覚」なのだと思う。
筆者は、東京・銀座やその周辺にある立派な店でも、(コロナ前から)衛生観念がまるでなっていないところを、いくつも体験している。それも即日営業停止命令を受けても当然なレベルで、である。それでもこういった有名な地域は「作られた評判・物語」に酔いしれて、次々と客が寄ってくるという悲しい事実がある。
物事がわかっている人は、何も言わず黙って離れていく。わざわざネットに投稿したり、クレームを入れたりといった、自分にとって無駄な時間とエネルギーを使わない。ただ「自分はもう行かない」だけである。そんな店に仕返しまがいのことをするような、心理的な幼さは持っていないのだ。
飲食店は、店と客で創る物語空間だ
人が集い、手作りの美味しい料理を食べ、うまい酒を飲む。
決して大げさではなく、生きている喜びの一つであろう。そこでは高級だとか、有名だとかいったことは、ほとんど価値基準にならない(自分の魂胆を成就させる戦略としては価値基準になりえるか)。
飲食を提供する側も受ける側も、そして居酒屋ならたまたま居合わせた客同士も、じつは皆が幸せになれる空間づくりの参加者だと思う。酒や料理を心から楽しんでいるあなたが今そこにいるということが、たとえ会話がなくとも、すでに幸せを配っていることになる。
しばらく続くことになるかもしれないコロナ禍。
出来ることを真面目にやっている居酒屋で、人々の心遣いも含めて味わいたい。
【参考リンク】
放送を終了していても、地方局で再放送している場合があるので要チェックである。また有料チャンネルでも放送されていることがある。
- 吉田類の酒場放浪記(BS-TBS)
- おんな酒場放浪記(BS-TBS)
- 太田和彦 ふらり旅 いい酒いい肴(BS11)
- 太田和彦のふらり旅 新・居酒屋百選(BS11)