ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

フェイスブックに向かない人間とは

2015年12月03日 | 沈思黙考

フェイスブックをはじめとしたソーシャルメディアを利用することが、あるべき現代人のカタチであるかのように語られることがあります。そうすると私なんぞは、フェイスブックに向かない、これからの社会に適応できないタイプの人間なのかもしれません。

なんだかんだで 20 年ほど、ICT(情報コミュニケーション技術)の分野で飯を食ってきた筆者ですが、未だに SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)というものを利用してはいません。むかし、何かの勢いでツイッターのアカウントを作ってみたことがありますが、ずっと放ったらかしです。


友人や知人はしきりに SNS、とくにフェイスブックを始めるよう勧めてくるのですが、私はいろいろと理由をつけてはごまかしてきています。
たとえば、「いいね!」といって、他人の活動や嗜好をほめるという機能などは、たまに集まった親戚たちやご近所主婦たちがやっている、「心にもない褒めあい合戦」に見えてしまい、「ポジティヴな同病相哀れむシステム」にも感じてしまうのです。
ましてや「いいね!」という賛同の意思表示が集まらないと、「自分は友人たちに(あるいは社会に)相手にされていないんだ」などと孤立感を深めたり、「てめぇ、いいね!しろよ。俺のフェイスブック見てんのかよ!」みたいに人に強要してくる輩(やから)もいるのだとか。

まぁこれも、単なる「褒め合いシステム」というわけではなく、もっと広がりのあるしくみではあるのですが、忙しく楽しそうに見せていながら、じつは寂しい現代人を説明するには使えるエピソードかもしれません。
考えてみれば、近況を把握し合っている人間関係は、昔からあったことです。ただその方法、規模、情報量、スピードが急速に変わってきたということなのでしょう。

エラそうに言えば、「一般個人が、所属する集団の中において、これまで以上に演技者としてふるまうことを期待される社会になってきた」ということなのかもしれません。


 ◆
私なんぞは、どちらかというと多くの人とかかわったりするより、一人静かに思考していることの方が好きなタイプです。
決して「人間ぎらい」ではないのですが、最近の SNS 利用者のライフスタイルを見ていると、「何もそこまでして」と思ってしまうこともあるのです。
なぜ自分の近況をそこまで細かくみんなに知らせる必要があるのか、なぜ他者の日常を知って反応しなければならないのか、と考えてしまうクチなのです。
それだったら一杯やって寝ちまった方が好みなのです。「きょうはこんな美味しい料理を食べましたぁ!」なんて言われても、「あぁ、そう」としか言えませんし...。

私が小学校に入ったころ「ともだち 100 人できるかな」なんて歌が、学校で歌われていました。しかし、音楽教師の指導にしたがって、いちおう大きな口を開けて歌っていた私は、「ま、そこまで友達は要らないな、現実」と思っていたものです。少々ひねくれた子どもだったというべきなのでしょうか。

細かいことを言えば、そもそも「友達」の定義はなんだ、ということも考えてしまいます。もちろん、ひとり一人にとっての定義もきっと様々なはずです。
しかし、少なくとも 20 世紀までの「友達」と、フェイスブックでいう「ともだち(フレンド)」は、同じものではないでしょう。仕組みの面は当然としても、私たちに対してこれまでにない人間関係のあり方や可能性を提示してきているように感じます。
たとえば、実名登録が原則とはいえネットでしか関係性がない人と、ふだんあるいはたまに実際に会うフェイスブックともだちとでは、心理的距離感や心の中での友達分類が、違ってきているのではないでしょうか。
実際、フェイスブックの仕組みの中では、人間関係を分類整理したり、関係を断ち切ることも、機能として提供されています。

こうなってくると、ネット上の人間関係、生身の表情や声を実感する実際の人間関係、あるいはそれらがミックスした関係について、上手にこなしていくリテラシが必要になってくるのかもしれません。
だとすると、ますます「人間(関係)ってなに?」という、哲学的な迷路にハマッてしまいそうでもあります。また、人生経験や他者との関わり合いが少ない人たちにとっての SNS と、ある程度こなれた社会人、あるいは年配者にとっての SNS が、みな同じでよいとも限らないのではないか、とも思えてきます。


 ◆
さて、こうやって縷々(るる)書き綴っているこのブログ記事も、広い意味では SNS になるそうです。ただ一般的なブログは、フェイスブックのような機能はありませんし、広がり、応用、現実生活とのかかわり方は大きく異なります。
私はブログ記事だって月に1~2度しか記事を投稿しません。そんな私が、友人の勧めでフェイスブックをはじめたところで、「放ったらかしなやつ」とか「休眠ユーザ」という存在にしかならないのではないかとも考えているところです。

電話とメールがあれば困ることはない、というのが(前時代的に聞こえることと思いますが)本音です。しかし友人の中には、「お前ェは電話だったり、ケータイメールだったり、パソコンメールだったり、ショートメッセージだったり、もうめんどくさいから、フェイスブックと LINE にしろよ」といってくる人もいます。
なんで、あんたにとって都合のいいメディアに合わせなきゃならないんだ、といつも思いつつ、お互い一定の尊敬と、一定の違和感を感じながら、10 年近く付き合ってきています(笑)。


 


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2 コメント

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共感 (ようこりん)
2016-09-13 10:55:08
はじめまして、たまたまディープなハワイを検索していたところ、こちらがヒットし、中身を見ているうちに、SNSに対する意見が似ていることに共感し、メッセージを書いてます。わたしもブログ、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムを使用していますが、特にフェイスブックに一時期はまった時期はありましたが、それ以降、今まで自分が投稿するために、自撮りしたり、いいねを期待するがためにいろいろな工夫をしていたことに滑稽さを感じてしまいました。他人の投稿写真を見ても、なんだかそのために外見や環境にこだわっていることに自分が同じことをしていたことに、時間の無駄さを感じないわけにいきませんでした。結局は、みんな自慢したいってことなんですよね(笑)。最近は投稿することが激減しましたし、近い将来はフェードアウトするつもりです。わたしも友達は少ないほうですし、一人時間も大好きなので、フェイスブック上のアンリアルなコミュニケーションに辟易しております。これからは身近にいるリアルな関係を深めていきたいと思っています。
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「共感」ありがとうございます。 (花馬 米)
2017-03-25 16:08:10
半年も経ってしまい、すいません。
あれから私も少し成長?し、少しだけ SNS を使い始めています。
といっても、すでに十分付き合いのある数人とだけ、LINE で連絡を取り合っているだけで、やっぱり多くの人間と絡んでいくというのは性に合いませんなァ(笑)。
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