ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

新型コロナウィルス いま日本人が試されるとき

2020年03月04日 | 沈思黙考

新型コロナウィルスの影響で日本が、世界が動揺し始めている。
不安と焦りが募る中、衛生用品はおろか保存の利く食料品までもが小売店から姿を消したり、小中高校の休校による様々な影響も出始めている。
いま日本人が心に留めておかねばならないことは2つだ。
ひとつは、社会がある種のパニック状態に陥った時、過去にどのようなことが起きていたか歴史を知ること。
もうひとつは、不安と混乱の中で、巧みに自分たちの影響力を拡大しようとする勢力の動きに注意し、浅い考えで短絡的行動をとってしまわない賢さだ。


時を少しさかのぼる。
1923年(大正12年)9月1日、関東地方で発生した大地震によって、東京、神奈川、千葉、茨城、そして静岡東部に及ぶ広い地域で甚大な被害が発生した。関東大震災である。
この混乱の時、我々日本人は、6,000人を超えるまったく罪のない朝鮮人、中国人、そして朝鮮人と間違えられた日本人を殺しているのである(被害者数については諸説あり)。
いったい何の話だと思うだろうか。

「この日本の混乱に乗じて、朝鮮人が社会主義者と結託して井戸に毒を投げ込んだり、放火したり、暴動を起こそうとしたりしている」
こういったようなデマが飛び交い、日本各地で町内会などが自警団を組織、ただ道を歩いているような人を押しとどめ、少ししゃべらせると、「発音がおかしい、お前は朝鮮人だろう」といって、竹槍などを使って集団で叩き殺してしまうなどの事件が起きた。
ちなみに当時は未だラジオさえなく、新聞が唯一のマスメディアといえる状況であった(日本初のラジオ放送は1925年、自警団は関東地方だけで約4,000)。

もちろん、現代の日本でこのようなこと(流言飛語によって徒党を組んで他国人を殺す)が起きるとは思えない。
しかし、マスメディアが発達しようが、SNSなどの情報ネットワークが存在しようが(いや、却ってそのほうが深刻か)、不安と焦り、恐怖に陥った人間集団が、いとも簡単に愚かな思考にはまり込み、誤った行動に短絡していくことを、これほど明確に表している事実もないと思う。


そしてもうひとつ。
人々の心に不安や焦りがつのり、目の前の社会の仕組みがそれまでのようには機能しなくなっていくとき、むやみに強い力を求めてしまうという恐ろしさだ。

「議論などしている場合ではない。小さな違いにこだわらず、一致団結してこの困難に立ち向かおう」
「ならばこの際、誰かが強い力で日本をまとめ、なんとかこの事態を解決してもらいたい」
「政治は大同団結しろ、日本国民は一つになれ、いまこそワンチームだ!」
そういった機運が盛り上がり、いつの間にか加速度がつき、やがては暴走してしまうということだ。

もちろん、人々が協力して問題を解決することは必要なことであるし、人間の素晴らしい面であることに間違いはない。
また、今回ひとつの舞台となったクルーズ船、ダイヤモンドプリンセス号に関わるさまざまな対応においても、
「初期段階に、感染拡大防止のための潤沢なリソースを、一定の強制力をもって一気に注ぎ込むべきだったのではないか」という意見にも、おおいに賛同できる。

しかし、表面的には「良いこと」「素晴らしいこと」であっても、思慮なく野放図に感激して、感動して、問題意識のカケラさえなく、多くの人々が「そこ」へ突き進んでいくことの危険性に対する注意力を、日本人は持ち合わせておかなければならない。



社会におかしなことが起きる時、たいていその少し前から、人々の心の中になんらかの不安が漂っているものである。きっかけさえあれば何かが起きてしまう状態ということだ。そのタイミングで例えば不幸な災害などが起きると、我々は単純思考に陥ってしまい、一気に特定の価値観に傾斜していきやすいのである。

ちなみに先述の関東大震災の時も、さまざまな不安要素が日本を覆っていた。
日本の大陸侵攻に対する朝鮮半島などからの恒常的で激しい反日感情は、デマを拡大させた主因とも考えられる。
また、ヒトラーやムッソリーニの登場、ソビエト連邦成立などの社会主義の台頭、スペイン風邪(新型インフルエンザ)の世界的大流行、日本国首相の暗殺や在任中の病死、大戦特需後の慢性不況...などである。

失われた20年、超高齢社会、貧困と格差、自己破産や自殺、相次ぐ台風被害、回復がまったく実感できない経済状況、狂気的な犯罪や悪質な詐欺、現政権への不審と不信...。
さまざまな不安要素が日本を覆っているこのタイミングで、新型コロナウィルスである。
ある意味、日本がおかしくなるための状況はそろっているともいえる。つまり今こそ我々日本人の賢さ、愚かさが重要なポイントになってくると思うのである。

考えてみれば、多くの人にとって「目に見えないし何だかよくわからない、だから余計に不安」というのは放射性物質もコロナウィルスもよく似ている。ただ放射性物質は、場所や地域がある程度図示できた。
しかし、ウィルスは日本のあちらこちらで同時多発的な様相で拡大していきそうな勢いである。

「不安と焦り」に「恐怖」が加わり、あるキャッチフレーズが日本を覆い始めるとき、われわれは大いに気を付けなければならない。
「そうだ、大災害の時もラグビーの時も、老いも若きも日本はひとつになれたじゃないか。いまこそワンチームだ!」

飛躍したように聞こえるかもしれないが、ヒトラーは民衆の熱狂的支持で選ばれているのである。そして「ファシズム」という言葉の意味は、「ひとつになる」ということだ。
「この非常時にひとつになろうとしないヤツらは頭がおかしい。なんとかしてしまえ」といったような考え方には、十分気を付けておかなければならない。

我々日本人は、この令和の時代に再び愚かな判断を繰り返すのか、それとも歴史を学んで少しは進歩した人間集団として世界に向き合っていけるのか、この年に試されているのかもしれない。


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