ロシアがウクライナに侵攻したことによって、ただでさえ疲弊している日本人にも、さらなる重圧がかかり始めている。もっともわかりやすい部分は物価上昇だ。しかし今後じわじわと日本人を絞めつけてくるものはそれだけに限らない。
いま我々ふつうの日本人が、大国による軍事侵攻をどのように考え、どのように振る舞うかによって、5年後、10年後の国際社会の中での日本の立ち位置が決まり、我々の暮らし方を決めていくことになるのではないだろうか。
INDEX
- 日本人のエネルギーと食べもの
- 間接的に襲ってくる波
- 核共有でなく平和の共有を掲げる日本人へ
- ロシアの自壊と日本の平和主義
日本人のエネルギーと食べもの
ロシアが行っているウクライナへの軍事侵攻については、マスメディアをはじめSNSなどでも盛んに報道・解説・主張が行われているから、だいたいどのような経緯や構造となっているかは大方の日本人は理解できているだろう。
そこで、我々ごく普通の日本人はこの問題をどうとらえるべきなのかについて考えてみたい。
日本は他の多くの国々と歩調を合わせ、ロシアの軍事侵攻を非難する立場に立っている。このことは正常な日本人であれば、ごく当然のこととして受け止めているはずだ。
しかしいっぽうで日本は、ロシアとの関係においてエネルギーおよび農林水産物の供給、そして北方領土という大きな問題を間においていることも忘れてはならない国でもある。
ロシアはいま全世界からといっていいほど多くの国々から直接・間接に経済制裁を受けているが、よく見てみるとそれは「100%全開」の制裁ではない。その理由の一つは、もし徹底的な制裁を加えてしまえば、情緒不安定とも見えるプーチンが何をやり始めるかわからないという危険性を考慮しているからではないだろうか。またもう一つは、各国は大なり小なり、あるいは間接的にロシアの存在に頼っている部分もあるからではないだろうか。
日本は一次エネルギーについて宿命的に海外依存をしなければならない国である。また食糧についても自給率は非常に低い。もちろん日本はそれと同じような価値を海外に向けて供給しているのだけれども、食べ物をはじめとして我々の日々の生活は外国頼みであるとも言え、国際協調の安定、バランス維持こそ日本が今後も存続・発展するために不可欠な視点である。
やや話はそれるが、「電気は二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーだ」などと得意顔な主張をよく見聞きするけれども、そのクリーンな電力を発生させるための火力発電や原子力発電には、液化天然ガスや石炭、そしてウラン鉱石が必要である。エネルギー供給の末端部分だけを見つめてものを考えたり語ったりしていても意味がないという好例だ。
我々の日々の生活、そしてあらゆる産業に必要な電力は、あたりまえだが発電機を回してやらねば発生しない。日本の場合、そのために調達される一次エネルギーの構成比率は、天然ガス39.0%、石炭31.0%となっており、いわば「電気のもと」のじつに7割は天然ガスと石炭なのである(資源エネルギー庁「総合エネルギー統計」2020年度実績)。
ここで石油が上位に出てこないことに疑問を感じる人もいるかもしれないが、石油等はわずかに6.3%でしかなく、太陽光や水力(いずれも8%弱)よりも低い。原子力に至っては福島の事故の影響もあり3.9%に過ぎない(同統計値)。
さて日本は、原油の4.1%、天然ガスの8.2%、そして石炭の12.5%をロシアからの供給に頼っているという(いずれも2020年)。
これらすべてが発電に使われるわけではないかもしれないが、一次エネルギー依存度という意味において、日本人がボンヤリとでもいいから頭の片隅に置いておくべき数値であろう。
極端な考え方ではあるが、これらが仮にストップした場合、日本あるいは我々の日々の生活がどうなるかを想像してみることは無意味ではない。日本人の苦悩はここにもある。
間接的に襲ってくる波
「だったら別の国から買えばいいじゃねぇか」という意見も成り立つが、エネルギーは調達できればそれでいいというものではない。「いくら」で買えるかが大きな問題である。
そしてまた、困っている国への支援に対しては、それなりの見返りが期待・要求されるのが国際社会の、特にエネルギー分野における冷酷な実態である。くわえてエネルギーの調達先(輸入相手)が少ないという状態は、それ自体リスクでもある。
余談だが、福島の事故後に次々と原子力発電所が停止していく中で、ある電力会社の社長が自ら海外に出向いて高い天然ガスを買い集めたことがあった。あのとき日本は少なくない国々から恨みを買っていたことを知っておいても損はないだろう。
「日本はいいよなカネがあるから。カネに飽かして天然ガスを買いまくって。おかげでオレたちの国は高いカネでしか天然ガスを買えなくなっちまった。どうしてくれるんだ、カネ持ちのお坊ちゃん」とでもいう恨みである。 原発事故を悼む気持ちを差し引いたとしても、安価なエネルギー供給(もっと言うなら奪い合い)は、すべての人・国家にとって死活問題なのである。
ロシアは原油生産量でアメリカ、サウジアラビアに次いで第3位の国であり、輸出量では第2位である。また天然ガス輸出量では2位以下のグループを大きく引き離しての1位でもある。つまりエネルギー分野については一定の発言力を持っているといえるし、それによって市場価格も影響を受けることになる。
また、パン・麺類・菓子などに使われる小麦の生産量に関しては、ロシアとウクライナを足し合わせると、1位2位の中国やインドにほとんど迫るという(ロシアとウクライナで世界の小麦の約3割を輸出)。特に中東や北アフリカの各国では主食であるパンの価格が急激に上昇し国内で混乱も起きている。
経済制裁は2ヶ月、3ヶ月と経つうちに、まさに真綿で首を締めるようにその国を苦しめることになるが、同時に世界は「返り血」を浴びることにもなる。
まず家計が光熱費、食料品、ガソリンなどの値上げに見舞われることは容易に想像がつく。そして旅客や貨物輸送など燃料コストが大きく影響する産業でも値上げが起きてくるだろう。そうして関連するあらゆる産業に混乱が広がっていく。
核共有でなく平和の共有を掲げる日本人へ
ロシアのウクライナ侵攻を機に、ここぞとばかりに「核共有」などという言葉が飛び出してきたり、憲法は改正できなくとも解釈で変更できるという意見が出てきたり、はたまた中国による台湾侵攻に日本が巻き込まれていくといったシナリオのシミュレーション・ドラマを制作するTV局まで出てきた。
不安定な情勢を前にして何の準備もしないのは誤りだが、だからといって直ちに具体的な行動に突き進もう、そのための検討を開始しようという動き、あるいは不安をより掻き立てるような論調には十分注意をしておかなければならない。あまりにも思考が単純で、かつその視野が狭すぎるからだ。
ことは国家レベルの問題である。そして世界規模でさまざまな事情を抱えた多くの国家が参加している場での戦略である。われわれ普通の日本人は、ここをよく考えておかねばならない。広い視野としっかりした歴史観のうえに立ちながら、いかに国際協調のバランスを保っていくかということに、大人の思考、対応が出来る日本人でなくてはならない。
相手がそう来るなら、また状況がこうなったなら、こっちはこうしてやれ!とばかりに、なにやら不良グループ同士の対立でも語るようなセンスで主張し始める人々に影響されてはダメなのだ。そっちへ流されてしまうことは、数十年前に経験してきた破滅の道への傾斜にほかならない。
冷静に観察すればわかるはずだ。そういった主張をしている人々は、たとえ日本が混乱状態に陥ったとしても、自分や自分たちはほとんど無傷でいられるようなポジションにいる者たちばかりである(それどころか利益を得ることになる立場でさえあったりする)。
愚かなる日本人を再来させてはならない。これは21世紀のふつうの日本人に課せられた使命ではないだろうか。「日本人とはやはり、歴史観も長期的戦略も学習能力も持つことが出来ない、極東のサルだったな」と世界の嘲笑を受けるようなことがあってはならない。
いま日本人に突き付けられているのは、自分たちの豊かな生活だけを考えていればそれで済むと思っているのか、ということではないだろうか。先般も、ロシアからと思われるサイバー攻撃によってトヨタ自動車の全国の工場が停止した。
ここまで各国が相互依存を深めている世界にあって、よその国の紛争など知らんといった態度では、自分の生活さえ脅かされてしまう。我々はここに気づかないサルであってはならない。しかしそこで、思慮なく脊椎反射をしてしまうサルであってもならないのである。
ロシアの自壊と日本の平和主義
最後に「ロシアの自壊」に触れておきたい。それは近いうちにロシアは内部から崩壊していくのではないかという、ほとんど祈りにも似た素人の願望である。
プーチンのこれまでを見ていて、なんとなくヒトラーと重ね合わせてしまう人も少なくないだろう。国内で一定の支持や人気を集め、国家の新しい姿を実現するべく邁進し、そうして一定の成果を出してきたかに見えたものの、その人物の深層にはじつに恐ろしい思想がたぎっていたという点である。
しかしなにもロシア全体が、ロシア人全員がプーチンを支持しているわけでもない。さらに、恐怖政治ともいえる体制で言いなりになっているような高官たちも、心からプーチンを100%支持しているというわけでもないだろうと思うのだ。
そこには恐怖と、そこから計算される自分と家族にとって最もマシな行動という思考原理があるのではないだろうか。 ただロシア軍の非人道的な動きと世界の反応は、プーチンを取り巻く人間たちも知らないはずはない。「このままプーチンをロシアのトップにしておいて、ロシアとロシア国民に未来はあるのか」と疑問を抱いている人物も少なくないと思うのだ。
そしていま、ふつうの日本人にできることを考えた時、毎日の生活の中での行動を少しだけ変えてみるという方法がいいのではないかと思っている。それはまことに小さな変化でしかないけれども、それが大きな波となれば「日本の一般民衆はこういう意思表示をしている」という強力なメッセージに繋がっていく。
コンビニなどで5円10円をウクライナへ募金することかもしれないし、パンケーキをいつもより少し小さく焼いて、ウクライナの子どもたちに心を寄せることでもいいと思う。大切なのは考えて、行動することなのだと思っている。
ところで日本はこのところずっと、自公連立政権が続いている。
そのむかし、犬猿の仲とでもいえそうな両党が手を結んだとき、驚きとともに両方の支持者からは激しい反発の声も上がっていた。「裏切りではないか」といった声すらあった。
しかし筆者の管見によれば、頭を替え、雰囲気を替えては生き延びようとする、派閥集団としての自民党の暴走を止める存在として公明党が見えてくる。そんなストッパーとしての役割、注文をつける与党という役割を公明党が担うことによって、日本は大失敗を避けてきているのではないかという気もしている。
公明党は平和の党などと言われているらしいが、そうであるならばウクライナが侵攻されているこの時期、日本人はもちろん海外の目からもその動向は注目されているはずである。
公明党は多くの日本人、そして世界の識者が知っているとおり、日蓮系仏教教団の創価学会が支持母体となっている。奇しくもこの2月、NHKの番組「100分de名著」で日蓮が取り上げられていたが、日蓮仏教とは決して「仏さまに祈って待つ」というようなものではなく、現実的な行動、そして言葉による対話を重視する姿勢が他の仏教各派とは異なるようだ。
そうであるならば公明党は、「軍事力には軍事力で」などといった単純思考であるはずがないだろう。
行動と対話を現実の政治に引き合わせるならば、それは「外交」ということになろうか。外交にはオモテもあればウラもある。この場合の「ウラ」とは決して裏取引だとか非合法といった文脈ではなく、政治家ではないあらゆる分野の人物たちによる、個人対個人、人間対人間の対話であると理解したい。
そう考えてくると、公明党の存在・役割に対する期待も大きくなるし、同時にその責任も重いものとなってくる。野党ではなく、与党の中で「もの申す」ことができるこの党に何ができるかが注目される。
ちなみに「公明党や創価学会は政教分離の原則に反した団体だ」という意味のことを言う人がいまだに時々いる。
政教分離とは「政権側が」特定の宗教を利したり、逆に弾圧・排斥したりすることを禁じたものであって、宗教的信条をベースにして政治的な発言や行動をとることを禁じているものではない。考え方の方向性をまるで理解できていない恥ずかしい発言に気づかなければならない。
逆に言えば、もし公明党が単独、あるいは連立政権の中で、創価学会だけを利するように仕向けたり、それ以外の宗教団体に圧力をかけたりすれば、これは憲法違反となる。
話を戻そう。
事はプーチンやロシアをとっちめれば解決するような単純な問題では断じてない。
なぜプーチンという人物はそのような考えを持つに至ったのか。その人生はどんなものであったのか。そしてなぜソ連、ロシアはああなのか。中国は、アメリカは...。 そこを考える時に必要なことは、きっと人間の探究に関する真摯な姿勢ではないだろうか。まどろっこしく感じるかもしれないが、表面的な解決は短期的な安定しかもたらさない。しかもそれは「巧みに仕組まれた脅しのシステム」であることが多くはないだろうか。
かつて人道的支援活動の最中に殺された日本人が大切にしていた言葉を思い出す。
「脅されず、踊らされずに、踊る」
平和とは、軍事力を充実させて得られる世界ではなく、一人ひとりの人間がその人らしく生ききることができる社会、ということではないかという気がしている。
いま、ふつうの日本人の思想と哲学が試されている。